荘厳なローマ遺跡群とサハラ砂漠の時代絵巻(岩壁画)が映す

「謎と感動の国」アルジェリア

アルジェリア旅行情報

アルジェリアってどんなとこ?

アルジェリアの歴史は非常に古く、紀元前12世紀のフェニキア時代に遡ります。その後、ローマ人、ヴァンダル人、ビザンツ帝国などがこの地域に影響を与えました。7世紀にはアラブ人がイスラム教をもたらし、イスラム文化が根付きました。その後、オスマン帝国との関わりが強まり、16世紀にはトルコのハイール・エディンヌ(通称赤ひげ)がアルジェ総督として名を馳せました。その後フランスのおよそ100年に及ぶ植民地支配の時代(1830年~1926年)を経て、1962年に100万人に及ぶ死者を出した血みどろの対仏独立戦争「アルジェリア戦争」によってフランスからの独立を果たしました。

アルジェリアの地形は非常に多様で、サハラ砂漠が国土の大部分を占めています。サハラ以外にも、アトラス山脈や地中海に面した沿岸地域があります。アトラス山脈は雄大な自然景観を提供し、標高の高い地域では雪を見ることもあります。

アルジェリアには、アラブ系とベルベル系の両系統の民族が混在しています。アラブ系の人々は主にイスラム文化を受け継ぎ、ベルベル系の人々は先住の文化や伝統を重んじています。また、歴史的な経緯からアフリカ諸国やヨーロッパからの移民も多く存在しています。

アルジェリアの気候は地域によって異なります。地中海沿岸部は地中海性気候で穏やかで湿潤な冬と暑い夏が特徴です。一方、内陸部や南部はサハラ砂漠の影響を受け、極端に乾燥し高温な気候が特徴です。

アルジェリアの文化はアラブ・イスラム文化とベルベル文化の影響を強く受けています。言語はアラビア語とベルベル語が話され、イスラム教が主要な宗教です。伝統的なアラブ音楽やベルベルの伝統芸能、手工芸品などが豊かな文化を形成しています。

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アルジェ
Algiers

16世紀にオスマントルコ帝国の占領下に置かれたアルジェは、トルコの海賊「赤ひげ」が総督となり、外敵の侵入を防ぐために築いた町です。カスバとは「城壁」という意味で、迷路のように入り組んだ狭い路地、急勾配の階段や坂道、密集する家屋に特徴があります。19世紀にフランスの占領下で都市改造が行われ、いくつかの重要な建築物は破壊されましたが、現在もなお16~19世紀の建物が残り、そんな中世から続く街並みは歴史的価値が高く評価されて、1992年にユネスコ世界遺産に登録されました。


アルジェのカスバ
アルジェ/丘の上にはノートルダム寺院が見える
アルジェのカスバ
丘の上に建つノートルダム寺院
アルジェのカスバ
アルジェのカスバから見た眺め
アルジェのカスバ
アルジェのカスバ

アルジェのカスバ/ Casbah of Algiers

世界遺産の「アルジェのカスバ」は、映画『望郷』の舞台として名高い場所です。このカスバは、町の北に位置する標高約120mの丘の斜面に広がり、石畳の細い坂道と階段が入り組み、密集する家屋のテラスが謎めいた風情を漂わせています。海賊(赤ひげ)によって築かれたこの町は、その後歴史の荒波にもまれ、数々の国の支配下、影響下に入りながらもその独自性を保ったからこそ、今に至る世界遺産の町になったこともまた記憶すべきでしょう。

ティパサ
Tipasa

アルジェから地中海を右手に、西へ車で約2時間走るとティパサの遺跡があります。ティパサは、紀元前7世紀にフェニキア人によって建設されら町で、ポエニ語で「市の広場」を意味します。カルタゴ時代には海上交易の港として栄え、その後ローマ帝国の植民都市となってからはさらに発展します。全長2300mの城壁に囲まれた町の中心には石畳の街路が延びており、海へと続く道の先には高級住宅街の跡が残っています。遺跡には雨水や泉から流れてくる水をためる水槽の跡も残っており、ローマの影響を受けた証があちらこちらに見受けられます。遺跡内にはキリスト教聖堂があり、それは当時のアルジェリアにおける重要なキリスト教徒移住区であったことを示します。4世紀建造のバシリカ大聖堂はアルジェリア最大の規模を誇ります。


ティパサ
地中海に面した高級住居跡
ティパサ
2000人を収容できたとされる劇場跡
ティパサ
キリスト教のシンボルといわれる魚のモザイク
ティパサ
ティパサ遺跡

ティパサの遺跡

アルジェの西70kmにある小さな港町ティパサ。フェニキア人と地中海の覇権を争って勝利したローマ人による植民都市として栄え、ローマ帝国の繁栄を支えたとされています。町にはキリスト教徒の移住区もあり、現在はアーチが残るのみですが、かつては断崖絶壁の上に巨大なバシリカ大聖堂がありました。高級住居跡地にあった美しいフレスコ画やモザイクは、現在博物館で見学ができます。(1982年世界遺産に登録)

シェルシェル
シェルシェルの町郊外にあるマウレタニア王家の墓

シェルシェルの町

ティパサの西25kmの郊外には、ティパサの遺跡よりもさらに大きな古代ローマ遺跡が残る場所があります。ローマの属州マウレタニアの首都カエサリアがあったシェルシェルの町です。町は港を一望できる丘の上にあり、その地下には今も多くの遺跡が眠っているといわれています。町のいたるところに半円形劇場や浴場などの遺跡が点在し、道路脇には本物のローマ時代の石柱が街路樹のように置かれています。シェルシェルの博物館にあるモザイクコレクションは、当時の暮らしぶりを美しく残しており必見です。シェルシェルの町郊外には、紀元前2世紀にベルベル人のマウリ部族の王国マウレタニアの国王ユパ2世が建てたといわれるマウレタニア王家の墓があります。

タッシリ・ナジェール
Tassili n'Ajjer

タッシリ・ナジェールは岩砂漠地帯で、リビアと国境を接するサハラの最も奥深いところに位置しています。観光拠点の町ジャネットは、アルジェから南へ約2000kmにあり、ここからさらに4時間ほど歩いた先にある断崖絶壁の上の台地にタッシリ・ナジェールは広がっています。現地のトゥアレグ語で「水の台地」を意味し、かつては緑が生い茂る湿潤地帯で滔々と水をたたえ、ゾウやキリン、カバなどの野生動物が闊歩していたことが、壁画に残る岩絵から容易に想像ができます。人々は暮らしの中で祭事を行い、牛や馬を飼いながら豊かな生活を営んでいたことでしょう。


タッシリ・ナジェール
タッシリ・ナジェール
タッシリ・ナジェール
タッシリ・ナジェール
タッシリ・ナジェール
タッシリ・ナジェール
タッシリ・ナジェール
タッシリ・ナジェール

タッシリ・ナジェールの岩絵

サハラ砂漠最奥部の荒涼とした山脈から、紀元前8000年前後から紀元前後までに描かれた約2万点もの岩壁画が発見されています。リビアのタドラート・アカクス山脈で発見されたものと同様、数千年にわたって描かれたもので、「狩猟民の時代」「ウシの時代」「ウマの時代」「ラクダの時代」の四つに区分されています。これらが描かれた時代は最古の「狩猟民の時代」に始まり、これらの岩絵は今から1万年前はこの地が緑豊かな大地であったことを証明し、人々の生活が狩猟採集から農耕牧畜へと変遷していったことを物語っています。中でもはるか昔に古代人が遭遇した地球外の知的生命体を描いたと噂される「セファールの白い巨人」はとくに有名です。(1982年世界遺産に登録)

ティムガッド
Timgad

ローマ帝国のトラヤヌス帝の治世下にあった1~2世紀頃に、退役軍人のためにつくられた植民都市だといわれています。東西南北に大通りが走り、4つの地区に区分され、上下水道の整備、円形劇場(推定約3500人収容)や14箇所の大浴場、図書館などが計画的に整備された完璧な街です。最盛期には建造物に精緻な浮き彫りや植物文様などのモザイクを施し、大通りを濃青色の玄武岩の敷石で、その他は白い石灰岩の敷石で舗装したりして相当な費用をかけて街を飾り立てていたことがわかります。しかし、7世紀にアラブ人に征服され、8世紀頃に大地震の影響で砂に埋没してしまうことになります。19世紀末にようやく発見され、良好な状態から「アフリカのポンペイ」と言われています。


ティムガッド
凱旋門に延びる石畳の道
ティムガッド
遺跡入り口横にある博物館/発掘されたモザイク
ティムガッド
半円形劇場からの眺め
ティムガッド
半円形劇場からトラヤヌス凱旋門を望む

ティムガッドの遺跡

退役軍人が優雅に暮らした高原の避暑地は、2000m級の山々の麓、標高1000mの高原に造られました。東西南北に碁盤の目のように道路が整備され、巨大な神殿やバシリカ、円形劇場や広いフォーラム(広場)などが完備され、さながら近代的な都市型高級住宅街の様相です。大通りには深さ10cmもある戦車のわだちが刻まれています。街のシンボルでもあるトラヤヌス帝の凱旋門を仰ぎ見ながら、かつては大通りを戦車が凱旋パレードをしていたのかもしれません。(1982年世界遺産に登録)

ジェミラ
Djemila

ジェミラは、1世紀にローマ軍の城塞から植民都市に昇格した街で、2世紀には北アフリカで最も繁栄した都市となりました。のちに理由もなく都市は放棄され、7世紀に侵攻したアラブ人たちに「美しい」という意味の「ジェミラ」と名づけられました。2世紀以前の旧市街にはフォーラム(公共広場)や神殿が、3世紀以降の新市街にはバシリカや劇場、凱旋門などの遺構が現在も良好な状態で残っています。さらに大邸宅に施された美しいモザイクが多数残っており、当時の北アフリカ美術の洗練された様式を今に伝えています。


ジェミラ
ジェミラ/居住地域からフォーラムに延びる道
ジェミラ
ジェミラ/セプティミウス・セウェレスの神殿
ジェミラ
ジェミラ/丘の斜面を利用して造られた半円形劇場
ジェミラ
ジェミラを代表するカラカラの凱旋門

ジェミラ/ Djemila

ジェミラは、アルジェの東約300km、海岸線から内陸へ40kmにある標高900mの高地に造られた古代ローマ都市です。なだらかな丘陵に沿って造られた町並みは、リビアのレプティス・マグナやサブラタと肩を並べるほどの美しさを誇ります。遺跡内で見逃せないのが、博物館内にあるモザイクコレクションの数々です。狩猟や農作業の様子が躍動的に表現され、「ローマの穀倉」と呼ばれた豊かな暮らしを垣間見ることができます。征服したアラブ人も驚嘆した、まさに「美しき」町です。(1982年世界遺産に登録)

コンスタンティーヌ
Constantine

コンスタンティーヌは、アルジェリア第三の都市で、古くから天然の要塞として栄えてきました。紀元前3世紀に建国されたヌミディア王国の首都で、のちにローマ帝国に支配され植民都市となります。313年に皇帝コンスタンティヌスの名をとって、「コンスタンティーヌ」となりました。コンスタンティヌス1世は、312年にミルティウス橋の戦いで勝利し、内乱で東西分裂していたローマ帝国を再統一した皇帝です。320年には有名なミラノ勅令でキリスト教を公認しています。町をまたぐように断崖絶壁にかかる巨大な橋は、コンスタンティーヌのシンボルで、美しい橋が架かる渓谷の町として広く知られています。


コンスタンティーヌ
断崖絶壁の町コンスタンティーヌ
コンスタンティーヌ
市街への行き来に欠かせない橋が4つあります
コンスタンティーヌ
町と町をつなぐ美しいつり橋/シディ・ムシド橋
コンスタンティーヌ
石造りのアーチが美しいエル・カンタラ橋

コンスタンティーヌの見どころ

町はルメル川の渓谷内側(西岸)の岩山に形成されており、鉄道駅は渓谷の外側(ルメル川東岸)にあるため、市街への往来は川にかかる4つの橋で行われます。コンスタンティーヌ鉄道駅を出てすぐ前の石橋(アーチ型)が有名なエル・カンタラ橋で、谷底からの高さは約160mもあります。エル・カンタラ橋を中心に上下の方向につり橋がそれぞれ架けられています。橋を渡るとまず旧市街に入ります。町の中心は旧市街を通り抜けた先にある中央広場で、その先に新市街が広がります。町の観光名所はルメル川の渓谷に囲まれた岩の上にある旧市街を中心にあるため、まずは旧市街を取り巻く外周(道路)をグルッと一周してみるのがいいでしょう。中心広場の西側には展望台もあり、町全体を見下ろすとさらによくわかります。最大の見どころは、つり橋からの眺めです。ルメル渓谷と旧市街とアーチ型のエル・カンタラ橋との組合わせはとても素晴らしく、まさに絵になる光景です。また下流のつり橋(北側)を渡った対岸の展望台からは、コンスタンティーヌの町全体が手に取るようにわかるのでおすすめです。

ムザブの谷
M'Zab Valley

ムザブの谷の町は、11世紀初頭に権力抗争から逃れ、故郷を追われたベルベル人の一部族ムザブ族が、流浪の果てにたどり着き築いた町です。「イスラムの清教徒」とも称される彼らは、砂漠に井戸を掘り、灌漑システムを構築して緑を育み、以来、砂漠の中のオアシスとなったこの町では、厳格なイスラム教の教えに基づいた独自のライフスタイルを確立してきました。敬虔なイスラム教徒として戒律を守りながら自分たちの生活を律するとともに、町の機能や美しさを保ってきました。アルジェのカスバと同様に、イスラムの規律に則って造られた町は、外敵からの襲撃に備え、丘の上のモスクは避難場所としての役割も果たしている。立方体をした密集家屋の統一化されたデザインや建材、砂漠の過酷な環境に適応した都市計画が、20世紀の建築家たちに大きな影響を与えたこともまた事実です。


ムザブの谷
ムザブの谷
ムザブの谷
ムザブの谷
ムザブの谷
ムザブの谷
ムザブの谷
ムザブの谷

ムザブの谷とガルダイヤ

サハラ砂漠北部に位置するムザブの谷とは、5つの高台に築かれた要塞都市によって形成されています。その5つの町とは、ガルダイヤ、メリカ、ベニイスゲン、ブーヌーラ、エルアティフです。町は、ベージュやピンク、明るいトルコブルーなどパステルカラーで彩られた立方体の家屋が密集しており、それぞれ丘の頂上に建てられたモスク中心に麓に向かって町が広がっています。ガルダイヤを除いては、基本的に旅行者の宿泊や酒たばこは禁止されています。またイスラム教徒以外はガイドなしでは中に立ち入ることもできません。(1982年世界遺産に登録)

ベニ・ハマッド
ベニ・ハマッド

ベニ・ハマッド
Bani Hammad

11世紀にファーティマ朝から逃れて、東アルジェリアを支配したハマッド朝の首都で、標高1000mの盆地に建設された、城壁に囲まれた要塞都市である。ここは隊商路にあたるため、山間ながら北アフリカ有数の交易地としても繁栄し、イラク製彩釉タイルで飾られた宮殿、国内第2の大きさをもつモスクなどの遺構が残っている。このモスクのミナレットは、モロッコやスペイン・アンダルシア地方でモスクの手本となり、多大な影響を与えたようだ。(1980年世界遺産に登録)

アルジェリアの基本情報

正式名称
アルジェリア民主人民共和国 / People's Democratic Republic of Algeria
国旗
アルジェリア国旗
首都
アルジェ
面積
238万K㎡(日本の約6倍)
人口
4,490万人 (2022年)
言語
公用語はアラビア語、ベルベル語、フランス語等。
宗教
イスラム教
通貨
アルジェリア・ディナール
1アルジェリア・ディナール(DZD)=約1.12円(2023年11月現在)
時差
時差は日本-8時間。アルジェリアの方が遅れています。サマータイムは実施していません。
電圧
230V(マルチタイプがオススメです。)
パスポート
査証発行日より6ヵ月以上。
ビザ
必要。出発前に事前取得する。
国際電話
国番号213 / 国際認識番号010
電話のかけ方
  • 日本からアルジェリアへ : 国際電話認識番号+213+市外局番(0を取る)+電話番号
  • アルジェリアから日本へ : 国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号
持込制限
  • 貨幣 ●外貨・・・外貨:無制限(5,000ユーロ相当以上は要申告)
持出制限
  • 貨幣 ●現地通貨・・・7,500ユーロ相当以上

旅行関連情報

水道水
首都アルジェなどでは、基本的に水道水の飲用が可能といわれていますが、ミネラルウォーターを飲むことをこころがけて下さい。
食事
主食はクスクス、パンです。チュクチェカ(夏野菜の卵焼き)、メシュウィー(ラム肉バーベキュー)、ハリラ(羊肉と野菜のスープ)などが有名。
お土産
オリーブ油、アルジェリアワイン、トゥアレグ族のアクセサリー、デーツ
プラグタイプ
A・BF・Cタイプです。
マルチタイプのプラグをお持ち頂くことをお薦めします。プラグ
気候と服装
国土が広いため、地域によって気候が異なります。内陸は国土の88%を占める広大なサハラ砂漠なので降水量が少なく、一日の寒暖差が大きいです。地中海に面した地域は、5~9月が乾季、10~4月は雨季となり、夏の平均気温は20~25度、冬は10~12度と温暖な気候です。日中は日差しが大変強いので、日よけ対策をしっかり行ってください。帽子やサングラスも忘れずにお持ちください。朝晩は冷え込む時もありますので、ジャンバー、ウインドブレーカーなどをお持ちになり、重ね着でご調整ください。女性はモスクを見学する際はスカーフが必要ですのでご用意ください。

アルジェ(アルジェリア)の月別平均気温(℃)

  1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
16 17 18 20 23 27 31 32 29 25 20 17
6 6 7 9 12 16 19 20 17 14 10 7
両替について
日本ご出国前に、ユーロ又は米ドル、を準備し、現地でユーロ又は米ドルをアルジェリア・ディナールにご両替下さい。
日本円は、アルジェリア国内にて、日本円からアルジェリア・ディナールに両替レートが悪いため、ユーロ又は米ドルをご持参ください。
クレジットカードはVISA又はMASTERCARD。JCBは使えないところが多い。ローカルなお店ではクレジットカードはほとんど使えません。
チップの習慣
  • 一般的にチップの習慣はありません。
  • レストラン:料金の10%~15%。(サービス料なしの場合)
  • ポーター、ルームサービス:1ドル程度
  • タクシー:小銭程度。
在アルジェリア日本国大使館
  • 住所:1,Chemin El Bakri,Ben Aknoun,16028,Alger(B.P.80 El Biar),Algérie
  • 電話:(213) 023 37 55 11
  • FAX:(213) 023 37 54 97

<注意>上記情報は、2022年12月現在のものです。事前予告無しに変更となる場合もございます。