カストロ、ゲバラの哲学が今も息づく

「陽気なカリブの国」キューバ

キューバ旅行情報

キューバってどんなとこ?

1959年のキューバ革命によってフィデル・カストロが指導者となり、キューバは社会主義国家に生まれ変わりました。 豊かで多様な文化を持ち、サルサ、ルンバ、ソンなどのキューバ音楽は世界的に有名であり、踊りとともにキューバの魅力を象徴しています。首都ハバナの旧市街地には、スペイン植民地時代の建築や都市計画の貴重な遺産が数多く残っています。その歴史的・建築的価値とともに、キューバ革命前の時代の姿をよく残した歴史的重要性により、ユネスコの世界遺産に登録されています。またキューバには美しい白砂のビーチと透明な海があり、バラデロやカヤココ島など世界的に有名なリゾート地があります。街中には今もアメリカ車の古いモデルが数多く残ることで知られていますが、これはアメリカとの関係が冷え込んだ時期に新しい車の導入が制限されたためで、古い車がキューバの風景を特徴づけ、観光客には人気のスポットとなっています。

キューバ革命ってなに?

1952年のクーデターで誕生したバティスタ政権。アメリカ企業がキューバ経済を支配し、独裁的で腐敗したバティスタ政権のもと、富裕層と貧困層の社会的・経済的格差が深刻となり、農民や労働者の生活は困窮し社会不安を引き起こしていました。そんな中、フィデル・カストロが現れ、彼のカリスマ性と革命への情熱が多くの人々を鼓舞し、反政府運動を強化し、1959年にキューバ革命が勃発しました。

以下その動向を時系列で追います。
1953年: フィデル・カストロはモンカダ兵営襲撃を指導し、失敗に終わり投獄される。この出来事がキューバ革命の原点となる。
1955年: バティスタ政権に対する反対運動の一環として、カストロはメキシコへ亡命し、新たな革命計画を立てる。
1956年: カストロは革命家エルネスト・"チェ"・ゲバラを含む82人の仲間と共に、キューバへの上陸を試みるが失敗し、シエラ・マエストラ山脈に潜伏する。
1959年: カストロと革命家たちはシエラ・マエストラでのゲリラ戦によりバティスタ政権を打倒し、勝利を収める。
1959年1月: カストロは首都ハバナに入城し、新たな政権を樹立する。彼はキューバの首相に就任し、革命政権を指導する。
1961年: カストロは社会主義を宣言し、キューバは社会主義国家となる。アメリカとの対立が深まり、経済的な制裁措置が導入される。
1962年: キューバ危機が勃発し、アメリカとソ連の対立が激化する。カストロはソ連との協力関係を深め、キューバは社会主義国家としての地位を確立する。
1976年: キューバは新憲法を採択し、カストロはキューバ共産党の第一書記に就任する。

革命の結果、キューバでは社会的な変革がもたらされました。農地改革により大土地所有制度が廃止され、農地が国有化されました。また、教育と医療の普及が重視され、識字率の向上や無料の医療サービスが提供されました。社会的な格差の縮小や貧困層への支援も目指され、社会的な平等の追求が進められました。一方で、革命はアメリカとの対立を生み、キューバは経済制裁や孤立化の状況に直面しました。アメリカとの関係が悪化し、キューバはソビエト連邦との連携を深めるようになりました。この結果、キューバは社会主義体制を確立し、国家主権を回復しましたが、経済的な困難も伴いました。キューバ革命は社会的な変革とアメリカとの対立をもたらしました。一部では革命の成果を評価する声もありますが、別の視点では政治的な弾圧や表現の自由の制約も指摘されています。キューバ社会は長年にわたって革命の影響を受け続けており、その評価や影響は依然として議論の的となっています。

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ハバナ
Havana

キュ-バの首都。人口約200万人の政治・経済の中心地。街は旧市街と新市街で構成されています。 旧市街はアバナ・ビエハと呼ばれ、コロニアルな街並みが世界遺産にも登録されています。オビスポ通り周辺には生バンドでキューバ音楽を聞かせるバーやレストランが多く、気軽にキュ-バ音楽が楽しめます。周辺に中華街や民宿の多いガリア-ノを海側に進み、海沿いのマレコン通りを西に進むと新市街になり革命広場やハバナ大学があります。

ハバナ旧市街(オールド・ハバナ)

500年の歴史が凝縮され、20世紀に入っても現代建築の侵入を拒み続けています。地元産の石灰岩の建築資材はもろく、細かい細工ができない一方、内装は複雑な組木による装飾がとても美しいです。 旧市街の繁華街であるオビスポ通り付近には、日用品や飲み物などが販売されている商店、ケーキも販売されているパンの店、東部バラコア産のカカオを原料としたチョコレートショップ、ペルフメリア香水店、アンティークの建物が特徴的な薬局などがあります。

モロ要塞とカバーニャ要塞

モロ要塞は、オールドハバナの入り口に位置し、16世紀初頭に建設されました。これはキューバで最古の要塞であり、スペイン植民地時代の要塞建築の傑作とされています。特徴的な円形の砦の建物と、塔の上に立つラ・ジラルダ(ギリシャの女神アテナの像)が目を引きます。 カバーニャ要塞は、モロ要塞の対岸に位置し、18世紀に建設されました。キューバで最大のスペイン植民地時代の要塞であり、その壁は約700メートルにも及びます。毎晩、要塞内でエル・カエル・デ・ラ・カバーニャ(カノンの威力を示す儀式)が行われることでも知られています。

チェ・ゲバラの第一邸宅

この邸宅は、革命の英雄でありゲリラ指導者であるチェ・ゲバラが一時的に滞在した場所として知られています。ハバナの地区であるサンタ・フェに位置し、スペイン植民地時代の建築様式を特徴としています。建物内部にはチェ・ゲバラの寝室や書斎、展示室などがあり、彼の革命的な活動や個人的な生活の一部を垣間見ることができます。

アリシア・アロンソ・ハバナ大劇場

キューバ出身の世界的に有名なバレエダンサーであるアリシア・アロンソにちなんで名付けられました。アリシア・アロンソはフィデル・カストロの長期政権下でキューバ国立バレエ団を指導し、バレエの発展に貢献しました。ハバナ大劇場は1914年に建設され、豪華なネオバロック様式の建物として知られています。その美しい外観と共に、劇場内部も見どころの一つです。メインホールは豪華な装飾や彫刻が施され、華やかなシャンデリアが天井から吊り下げられています。観客席は1,500席あり、見事な舞台芸術を楽しむことができます。

ラム酒の名店

モヒートで有名な「ラ・ボデギータ・デル・メディオ(La Bodeguita del Medio)」とダイキリで有名な「エルフロリディータ(El Floridita)」は、ヘミングウェイがキューバ滞在時に彼の愛飲先として知られており、彼の作品や伝記にも頻繁に言及されています。モヒートもダイキリもともにラム酒がベースで、ラム酒の代表的なブランドは、ハバナクラブ、カリビアン・クラブ、バラデロ、カネイ、ブカネロなどがあります。ラム酒の原料のサトウキビからは、ラム酒以外にも薬品、紙、パルプ、合板、繊維、飼料などたくさんのものが製造されます。ハバナにあるサトウキビ副産物研究所で研究がすすめられていますが、もとはゲバラの発想で、ゲバラの指導のもとで持続可能な産業として育成されてきました。

クラッシックカー

米国製の年代もので、1950年型のビュイック、52年型ダッジなどが多く、革命後は、ソ連製のラーダなどが半数以上を占めています。故障箇所はビニールや紐で補修し、またソ連製のトラックの部品で代用され、大事に使われています。 ゲバラの愛車は、シボレーのインパラ59年型であったといわれています。


ハバナ旧市街
ハバナ旧市街
カバーニャ要塞
カバーニャ要塞
ハバナ旧市街
ハバナ旧市街

ハバナ新市街

革命広場

革命広場は広大な面積を持ち、中央には高さ109mのホセ・マルティ記念塔(博物館)がそびえ立っています。革命広場にはフィデル・カストロが演説を行ったことで知られる演説台も存在し、広場周辺にはキューバの政府機関や歴史的な建物が点在しています。キューバ共産党中央委員会や国家評議会の建物は広場の近くにあり、革命広場はキューバの政治の中枢としての役割も果たしています。内務省の建物にはゲバラの顔、情報通信省の建物にはカミーロ・シエンフエゴスの顔のモニュメントが描かれています。2016年11月28日には、フィデル・カストロ前国家評議会議長死去に伴う追悼行事が執り行われました。

マレコン通り(Malecon)

ハバナを代表する海岸沿いの通りです。全長8キロメートルにわたり、ハバナの旧市街地からヴェダード地区まで延びています。マレコン通りは、キューバ人の日常生活や文化を反映した重要な場所であり、観光客にも人気のスポットです。昼間は、散歩やジョギングを楽しむ人々や釣りをする人々が通りを埋め尽くし、地元の若者たちが集まり、音楽を奏でたり踊ったりしています。夜になると、ライトアップされたビルやホテル、レストラン、バーなどが美しい光景を作り出し、ナイトライフの中心地となります。

フィデル・カストロ

南東部ビラン出身。小学生の頃は一人でサンチアゴ・デ・クーバへ出て、修道会の学校で学ぶ。ハバナ大学では法律を学んだ後、弁護士としても活動。革命直後は、農地改革の実行、物資不足に対して貧しさを分かち合う政策をとる。医療・教育費の無償化も実現。医療技術の海外派遣は有名だが、芸術分野でも、ラテンアメリカ・カリブ地域の国際美術展ハバナビエンナーレが開催され、美術の中心的な役割も果たすほどとなる。

カミーロ・シエンフエゴス

1953年のモンカダ兵営襲撃に参加し、ゲバラとともに反乱軍を率いた。革命勝利後は、軍隊の最高指揮官に就任、大規模な農地改革を行った。陽気で誠実、かつ愛国主義者で、ゲバラと、キューバ国民から敬愛された。 1959年10月、27歳の時に、フィデル・カストロに指示された任務からセスナにて帰還中に、キューバ中部で墜落事故に巻き込まれ、行方不明となった。

ハバナ新市街(革命広場)
革命広場
ハバナ新市街(革命広場)
革命広場
マレコン通り
マレコン通り

バラデロ
Varadero

ハバナから東へ、車で約2時間。美しい白砂のビ-チが続き、そのビ-チ沿いに大きなリゾ-トホテルが建ち並ぶキュ-バ最大のビ-チリゾ-トです。ヒカコス半島内の移動は、半島内を循環している2階建てのバス(2階は屋根がなく見晴らしがいい)を利用することができます。米国支配下にあった時代、アメリカの富裕層は、競うようにバラデロに別荘を建てました。フォックスキャッチャー事件でも有名な米国三大財閥の一つデュポン家の邸宅跡は、メリア・ラス・アメリカスホテルのビーチから外観を見ることができます。革命後に富裕層が去ったあとは、一般の観光客向けに整備されました。バラデロにある大型のショッピングセンターは、日用品や食品を中心とした品ぞろえが豊富で、キューバ人も大好きなはちみつは、かわいい動物型の容器などに入れられて販売されています。容器の蓋が緩くなっている場合があるので、購入の際には、しっかりと確認が必要です。

バラデロ
バラデロ
バラデロ
バラデロ

トリニダー
Trinidad

ハバナから車で約5時間。16世紀にスペイン人によって設立され、キューバで最も古い都市のひとつとされています。スペイン植民地支配の下で繁栄し、スペイン領時代の建築様式や街並み、文化的な要素が現在でも残っています。18世紀から19世紀にかけて、砂糖産業の中心地として栄え、砂糖プランテーションが周辺地域に広がり、奴隷労働が盛んに行われました。この時期の富と繁栄は、町の建築や豪華な邸宅、教会などに見ることができます。トリニダーの旧市街は、その歴史的価値と保存状態の良さから、1988年にユネスコの世界遺産に登録されました。石畳の街路やカラフルなコロニアル様式の建物、歴史的な広場などが特徴です。メインの広場である「プラサ・メイヨール」は、トリニダーの中心となる場所であり、周囲には教会や博物館などが立ち並んでいます。石畳の街を歩いているだけで楽しむことができ、市内バスで30分の距離にあるアンコンビ-チでは、海水浴やダイビングをすることもできます。

革命博物館

トリニダーの革命博物館は、キューバ革命の歴史とトリニダーにおける反乱活動に焦点を当てた博物館です。博物館の展示は、キューバ革命時代の武器や写真、文書などを通じて、キューバの独立戦争や革命の過程、革命家たちの役割などを紹介しています。特に、トリニダー周辺地域で起こった反乱活動やゲリラ戦の歴史に焦点を当てており、革命戦士たちの勇敢な行動や戦略を紹介しています。建物はキューバの25セントの硬貨にデザインされ、展望台からは、赤茶色の瓦屋根の家が立ち並ぶ街並みを見ることができます。

ラ・カンチャンチャラ

ラ・カンチャンチャラは、トリニダー地域で生まれた伝統的なカクテルです。トリニダーの特産品である丸い陶器の入れ物に注がれます。主な材料は、ラム酒、新鮮なライムジュース、蜂蜜、そして氷です。これらの材料を適切な割合で混ぜ合わせ、カンチャンチャラの特徴的なカップに注ぎます。カクテルには複数のバリエーションがあり、個々の好みやバーテンダーの技量によって異なる味わいを楽しむことができます。

マナカ・イスナガの塔

トリニダー地域の砂糖プランテーションの所有者であったイスナガ家によって建設されました。塔は、プランテーションの管理や奴隷労働の監視、火災警戒などの目的で使用され、周辺の農地や砂糖プランテーションを見渡すことができました。現在、塔の入り口には、かつてアフリカからの黒人奴隷が伝えた刺繍の土産物の露店が軒を並べています。

トリニダー
トリニダー
トリニダー
トリニダー
マナカ・イスナガの塔
マナカ・イスナガの塔

サンチアゴ・デ・クーバ
Santiago de Cuba

キューバの東南に位置し、ハバナから車で約15時間、飛行機で約1時間半の距離にあるキュ-バ第二の都市。多様性に富んだ文化や人種の融合が感じられる特別な場所で、アフリカ系キューバ人の人口が比較的多く、黒人の文化や影響が顕著です。黒人のルーツや伝統が街の雰囲気に反映されており、音楽や踊り、宗教儀式などで感じることができます。旧市街地は、歴史的な建造物やカラフルな建物が立ち並ぶ美しい街並みが特徴です。スペイン植民地時代の影響を受けた建築物や舗装された石畳の道が広がり、歩いて街を探索することができます。

7月26日モンガダ兵営博物館

キューバ建国の父ホセ・マルティの生誕100周年にあたる1953年に、カストロ革命軍が襲撃しキューバ革命が始まったキューバの第二兵営。モンカダ兵営襲撃の記念として設立されました。博物館では、モンカダ兵営襲撃の経緯やその後のキューバ革命についての展示が行われています。展示物には写真、文書、武器、兵器、戦闘服などが含まれており、当時の状況を伝えるための資料が展示されています。また、襲撃で命を落とした革命家たちの記念碑や墓地も博物館の一部として訪れることができます。

グランヒ-タシボネイ

モンガダ兵営襲撃前に 、戦闘員が集合したアジト。モンガダ兵営博物館同様、壁に銃痕の跡が残されています。血のついた戦闘服、襲撃に失敗した戦闘員の拷問の様子の写真などの展示があります。

サンタイフェニア墓地にあるホセ・マルティの墓

ホセ・マルティは、1869年16歳の時、独立の志を持っているという罪でスぺイン植民地政府に投獄された後、スペインへ追放。6年後、ニューヨークに渡り、詩人、ジャーナリスト、教育者などとしても活躍したが、この頃の米国は独占資本主義へ移行しつつある時代で、労働運動弾圧、格差拡大など問題が表れはじめていました。独立こそ不可欠であると確信し、その後20年に渡り、キューバ独立の為に奔走。ラテンアメリカの雑多性に良さがあると独立を訴えてきたシモンボリバルの思想を継承し、フィデル・カストロの思想にも影響を与えています。この墓での衛兵の交代は、30分おきに行われます。

コブレの聖母寺

黄金の衣装をまとう褐色の聖母カリダーの参拝には、黄色い服を着た女性が多い。黄色は、アフリカ土着の守護霊のシンボルカラーであるため、ひまわりを供える参拝者も多い。

キュ-バ歴史博物館(ベラスケスの家)

1511年にサンティアゴ・デ・クーバから征服した初代提督のベラスケスの邸宅跡は、セスペデス公園に面しています。中庭もあるスペイン建築であるが、イスラム文化の影響も受けています。

サンティアゴ・デ・ク-バ
サンティアゴ・デ・ク-バ
サンティアゴ・デ・ク-バ
サンティアゴ・デ・ク-バ
サンティアゴ・デ・ク-バ
サンティアゴ・デ・ク-バ

キューバの基本情報

正式名称
キューバ共和国 / Republica de Cuba
国旗
キューバ国旗
首都
ハバナ
面積
11万1000K㎡(本州の半分)
人口
1118万人 (2022年)
言語
公用語はスペイン語。
宗教
カトリックとアフリカ宗教。無宗教の人も多い。
通貨
ペソ
1ペソ(CUC)=約134.318円(2023年4月現在)
時差
時差は日本-14時間。キューバの方が遅れています。サマータイム中の時差は日本-13時間となります。
電圧
110V(マルチタイプがオススメです。)
パスポート
帰国時まで有効なもの
ビザ
必要(ツーリストカード)/観光目的で通常30日以内の滞在可
国際電話
国番号52 / 国際認識番号010
電話のかけ方
  • 日本からキューバへ : 国際電話認識番号+53+市外局番(0を取る)+電話番号
  • キューバから日本へ : 国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号
持込制限
  • 貨幣 ●外貨・・・現金を持ち込む場合はユーロ、ドルを適当な割合で混ぜて持ち込むことをおすすめします。また、キューバへの現金の持ち込みや持ち出しが5000米ドル相当以上となる場合は税関への申告が必要です。
持出制限
  • 貨幣 ●現地通貨・・・国外持ち出しは禁止。

旅行関連情報

水道水
水道水は石灰の含有量が高いばかりでなく、アメーバ等が混在している危険性がありますので、飲用には適していません、ローカルな食堂などで食事をする場合は安全のためにミネラルウォーターを飲むことをこころがけて下さい。
水が殺菌されていても氷は殺菌されていない場合があるため注意してください。
食事
主食は米で、昼食、夕食には基本的お米を食べています。
お土産
キューバ産の葉巻、ラム酒、ゲバラモチーフの小物、Tシャツ、3ペソコインはゲバラコインなので、ゲバラファンにはいいお土産になる。
サン・ホセ民芸品市場で民芸品、雑貨、服、絵画がおすすめです。
プラグタイプ
一般的に「Aタイプ」ですが
ホテルなどによって異なるので、マルチタイプのプラグをお持ち頂くことをお薦めします。プラグ
気候と服装
熱帯気候に包まれたキューバは年間平均気温が約25℃と温暖です。乾季は11月から4月。雨季は7月~10月。雨の少ない乾季がベストシ-ズンだが、雨季といってもスコ-ルで1日中降り続くわけではないので旅行にはあまり影響はない。ハリケ-ンが9月と10月に多いので、その時期には飛行機が飛ばなくなることもある。
日差しが強いこともありますので日焼けなどの対策を。

ハバナ(キューバ)の月別平均気温(℃)

  1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
27 28 28 30 31 32 32 32 30 29 27 29.8
19 19 19 21 22 24 24 24 23 21 20 21.7
両替について
日本ご出国前に、米ドルを準備し、現地で米ドルをキューバペソにご両替下さい。
日本円は、キューバ国内にて、キューバペソへの両替が不可の場合がございます。
また、可能な場合でも、レートはあまりよくないので実用的ではありません。
クレジットカードはVISA又はMASTERCARDの2種類(米国の金融機関以外で決済されるカード)に限られています。
チップの習慣
  • キューバはかつてチップの習慣はありませんでした。
  • レストラン:料金の10%~15%。
  • ポーター、ルームサービス:1ドル程度
  • ガイド:5ドル程度
  • タクシー:基本的に必要はないが、キリの良い金額を支払うとよい。
在メキシコ日本大使館
  • 住所:Calle 20 No.4101 esq. A 41, Miramar Playao
  • 電話:(53) 7204-3355
  • FAX:(53) 7204-8902

<注意>上記情報は、2022年12月現在のものです。事前予告無しに変更となる場合もございます。