ハバナ/
Havana
キュ-バの首都。人口約200万人の政治・経済の中心地。街は旧市街と新市街で構成されています。 旧市街はアバナ・ビエハと呼ばれ、コロニアルな街並みが世界遺産にも登録されています。オビスポ通り周辺には生バンドでキューバ音楽を聞かせるバーやレストランが多く、気軽にキュ-バ音楽が楽しめます。周辺に中華街や民宿の多いガリア-ノを海側に進み、海沿いのマレコン通りを西に進むと新市街になり革命広場やハバナ大学があります。
ハバナ旧市街(オールド・ハバナ)
500年の歴史が凝縮され、20世紀に入っても現代建築の侵入を拒み続けています。地元産の石灰岩の建築資材はもろく、細かい細工ができない一方、内装は複雑な組木による装飾がとても美しいです。 旧市街の繁華街であるオビスポ通り付近には、日用品や飲み物などが販売されている商店、ケーキも販売されているパンの店、東部バラコア産のカカオを原料としたチョコレートショップ、ペルフメリア香水店、アンティークの建物が特徴的な薬局などがあります。
モロ要塞とカバーニャ要塞
モロ要塞は、オールドハバナの入り口に位置し、16世紀初頭に建設されました。これはキューバで最古の要塞であり、スペイン植民地時代の要塞建築の傑作とされています。特徴的な円形の砦の建物と、塔の上に立つラ・ジラルダ(ギリシャの女神アテナの像)が目を引きます。 カバーニャ要塞は、モロ要塞の対岸に位置し、18世紀に建設されました。キューバで最大のスペイン植民地時代の要塞であり、その壁は約700メートルにも及びます。毎晩、要塞内でエル・カエル・デ・ラ・カバーニャ(カノンの威力を示す儀式)が行われることでも知られています。
チェ・ゲバラの第一邸宅
この邸宅は、革命の英雄でありゲリラ指導者であるチェ・ゲバラが一時的に滞在した場所として知られています。ハバナの地区であるサンタ・フェに位置し、スペイン植民地時代の建築様式を特徴としています。建物内部にはチェ・ゲバラの寝室や書斎、展示室などがあり、彼の革命的な活動や個人的な生活の一部を垣間見ることができます。
アリシア・アロンソ・ハバナ大劇場
キューバ出身の世界的に有名なバレエダンサーであるアリシア・アロンソにちなんで名付けられました。アリシア・アロンソはフィデル・カストロの長期政権下でキューバ国立バレエ団を指導し、バレエの発展に貢献しました。ハバナ大劇場は1914年に建設され、豪華なネオバロック様式の建物として知られています。その美しい外観と共に、劇場内部も見どころの一つです。メインホールは豪華な装飾や彫刻が施され、華やかなシャンデリアが天井から吊り下げられています。観客席は1,500席あり、見事な舞台芸術を楽しむことができます。
ラム酒の名店
モヒートで有名な「ラ・ボデギータ・デル・メディオ(La Bodeguita del Medio)」とダイキリで有名な「エルフロリディータ(El Floridita)」は、ヘミングウェイがキューバ滞在時に彼の愛飲先として知られており、彼の作品や伝記にも頻繁に言及されています。モヒートもダイキリもともにラム酒がベースで、ラム酒の代表的なブランドは、ハバナクラブ、カリビアン・クラブ、バラデロ、カネイ、ブカネロなどがあります。ラム酒の原料のサトウキビからは、ラム酒以外にも薬品、紙、パルプ、合板、繊維、飼料などたくさんのものが製造されます。ハバナにあるサトウキビ副産物研究所で研究がすすめられていますが、もとはゲバラの発想で、ゲバラの指導のもとで持続可能な産業として育成されてきました。
クラッシックカー
米国製の年代もので、1950年型のビュイック、52年型ダッジなどが多く、革命後は、ソ連製のラーダなどが半数以上を占めています。故障箇所はビニールや紐で補修し、またソ連製のトラックの部品で代用され、大事に使われています。 ゲバラの愛車は、シボレーのインパラ59年型であったといわれています。
ハバナ新市街
革命広場
革命広場は広大な面積を持ち、中央には高さ109mのホセ・マルティ記念塔(博物館)がそびえ立っています。革命広場にはフィデル・カストロが演説を行ったことで知られる演説台も存在し、広場周辺にはキューバの政府機関や歴史的な建物が点在しています。キューバ共産党中央委員会や国家評議会の建物は広場の近くにあり、革命広場はキューバの政治の中枢としての役割も果たしています。内務省の建物にはゲバラの顔、情報通信省の建物にはカミーロ・シエンフエゴスの顔のモニュメントが描かれています。2016年11月28日には、フィデル・カストロ前国家評議会議長死去に伴う追悼行事が執り行われました。
マレコン通り(Malecon)
ハバナを代表する海岸沿いの通りです。全長8キロメートルにわたり、ハバナの旧市街地からヴェダード地区まで延びています。マレコン通りは、キューバ人の日常生活や文化を反映した重要な場所であり、観光客にも人気のスポットです。昼間は、散歩やジョギングを楽しむ人々や釣りをする人々が通りを埋め尽くし、地元の若者たちが集まり、音楽を奏でたり踊ったりしています。夜になると、ライトアップされたビルやホテル、レストラン、バーなどが美しい光景を作り出し、ナイトライフの中心地となります。
フィデル・カストロ
南東部ビラン出身。小学生の頃は一人でサンチアゴ・デ・クーバへ出て、修道会の学校で学ぶ。ハバナ大学では法律を学んだ後、弁護士としても活動。革命直後は、農地改革の実行、物資不足に対して貧しさを分かち合う政策をとる。医療・教育費の無償化も実現。医療技術の海外派遣は有名だが、芸術分野でも、ラテンアメリカ・カリブ地域の国際美術展ハバナビエンナーレが開催され、美術の中心的な役割も果たすほどとなる。
カミーロ・シエンフエゴス
1953年のモンカダ兵営襲撃に参加し、ゲバラとともに反乱軍を率いた。革命勝利後は、軍隊の最高指揮官に就任、大規模な農地改革を行った。陽気で誠実、かつ愛国主義者で、ゲバラと、キューバ国民から敬愛された。 1959年10月、27歳の時に、フィデル・カストロに指示された任務からセスナにて帰還中に、キューバ中部で墜落事故に巻き込まれ、行方不明となった。