大自然の息吹と絶景があふれる

「氷と火山の国」チリ

チリ旅行情報

チリってどんなとこ?

チリは南米大陸の南西部に位置する細長い国で、北はペルー、東はボリビアとアルゼンチン、西は太平洋に面しています。その独特な地理的形状は、長さ約4,300キロメートルに対して幅は平均してわずか177キロメートルです。この地理的特徴が多様な気候帯と自然環境を生み出しています。
チリの歴史は、先住民マプチェ族を中心とした古代文明に遡ります。16世紀にスペイン人のコンキスタドールが到来し、植民地化が進みました。1818年に独立を果たし、20世紀には安定した民主主義と経済成長を経験しました。ピノチェト将軍による軍事政権(1973-1990)の後、再び民主主義に戻り、現在では南米で最も安定した国の一つとされています。地形は非常に多様で、北部には世界で最も乾燥した砂漠、アタカマ砂漠が広がり、中央部には肥沃な谷とアンデス山脈が続きます。南部には氷河、フィヨルド、パタゴニアの美しい風景が広がっています。この国の最高峰は、標高6,893メートルのオホス・デル・サラド山です。チリは南半球に位置するため、季節は日本とは逆になります。夏は12月から2月で、観光やアウトドア活動に最適な季節です。冬は6月から8月で、アンデス山脈ではスキーやスノーボードを楽しむことができます。文化面では、チリは先住民の伝統とスペイン植民地時代の影響を受け、独自の文化を形成しています。公用語はスペイン語であり、カトリック教徒が多数を占めます。音楽ではフォルクローレやクエーカといった伝統音楽が親しまれています。

チリツアー情報

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  • map_iconイースター島・モアイ分布図

サンティアゴ
Santiago

人口約550万人のチリの首都。街はアルマス広場を中心とした旧市街とプロビデンシア地区とラス・コンデス地区の2つの新市街に分かれています。旧市街には、モネダ宮殿、サンティアゴ大聖堂、サンタルシアの丘、いくつかの博物館等の見所があり、中央市場のレストランでは、ウニ等のシ-フ-ドやチリ産のワインがかなり割安で食べることができます。新市街はこれといった見所はありませんが、南米でも屈指の洗練された都会を感じることができます。旧市街と新市街間やバスターミナルへは地下鉄で移動が可能です。日帰りで世界遺産の街・バルパライソ(バスで片道2時間)に行くこともできます

サンティアゴ
サンティアゴ(アルマス広場)
サンティアゴ
サンティアゴ大聖堂

サンペドロ・デ・アタカマ
Sanpedro de Atacama

ボリビアとアルゼンチンとの国境に近いチリ北部の町です(標高2438m)。世界で最も乾燥した砂漠といわれるアタカマ砂漠にある小さな町で市内観光は徒歩で可能です。考古学博物館では、町の周辺で発掘された30万点に及ぶ資料、アタカメーニョのミイラなどが展示されています。この町が有名なのはアタカマ高地のツアー拠点の場所だからでもあります。近郊の主な観光地としては、「月の谷(Ville de la Luna)」「アタカマ塩湖(Salar de Atacama)」「ミスカンティ湖(Laguna Miscanti)」「タティオ間欠泉群(Los Geisers del Tatio)」などがあります。また、ボリビアのウユニ塩湖へ抜けるツアー(オ-バ-ランドツア-)の基点でもあります。

アタカマ砂漠Atacama Desert

月の谷/Valle de Luna

サンペドロ・デ・アタカマの西、車で30分ほどの距離にある月面を思わせるような砂漠地帯です。塩分を多く含む砂漠で、かつては岩塩の採掘もしていました。岩肌が白く、少し削ると岩塩であることがわかります。

アタカマ塩湖/Salar de Atacama

標高2305mにある岩塩だらけの湖、ウユニ塩湖に次ぐ世界第二位の面積を誇ります。ここはフラミンゴ自然保護区に指定されており、フラミンゴのコロニー(生息地)があります。

タティオ間欠泉/Geysers Del Tatio

サンペドロ・デ・アタカマの北約80km、標高4300mにある、世界最高所の間欠泉。通称エル・タティオ。あちこちから煙が上がり自然を体感できます。

月の谷
月の谷
タティオ間欠泉
タティオ間欠泉

プエルト・ナタレス
Puerto Natales

パイネ国立公園の基点の町。チリ・パタゴニアの空の玄関口プンタ・アレナス(Punta Arenas)からバスで約3時間の距離にあり、カラファテとの間に位置する。アルゼンチンとの国境もほど近い。特に見所はなく、パイネ国立公園の日帰りツア-やトレッキングの準備をする町として機能している。また、パイネ国立公園内では限られた場所でしかお土産なども買えないためこの町で購入していくことをお勧めします。

パイネ国立公園
Torres del Paine National Park

正式名:トーレス・デル・パイネ
プエルト・ナタレスの北約120kmに位置する面積1630k㎡(大阪府より少し小さい)の自然公園です。1959年に国立公園に指定されたチリ・パタゴニアのなかで最も有名な観光地で、日本語で、「パイネの塔」という意味を持ち公園内には塔のような形をした岩山があります。年間をとおして東側は強風が吹き、西側は降雨、降雪が多いです。夏であっても平均最高気温は17℃、冬になれば最高平均気温は5℃にまで下がります。こんな厳しい条件のもとでも、コンドルをはじめとする猛禽類やピューマ、ハイイロギツネなど動物が生息しています。主な名所は、国立公園を象徴する3つの岩峰「トーレス・デル・パイネ(Torres del Paine)」をはじめ、「パイネ・グランデ山(Cerro Paine Grande)」「サルト・グランデ(パイネ大滝/Salto Grande)」「グレイ湖(Lago Grey)」「アマルガ湖(Laguna Amarga)」「ミロドンの洞窟(Cueva del Milodon)」などがあります。

トーレス・デル・パイネ/ Torres del Paine

パイネ国立公園を代表する3本の岩峰。南から、デ・アゴスティーニ峰(2,850m)、セントラル峰(2,800m)、モンチィーノ峰(2,700m)。1200万年前に隆起してできた岩山で長い年月をかけ氷河などに削られ今の形になりました。

アマルガ湖/ Laguna Amarga

国立公園の外にあるが、立ち寄ることが多いポイント。鉄分と塩分を多く含むこの湖にはフラミンゴが生息しており、湖の向こうに「トーレス・デル・パイネ」を望むことができるヴューポイント。

パイネ・グランデ山/ Cerro Paine Grande

パイネ国立公園の最高峰。高さは3,050mあり万年雪に覆われています。南からみて、パイネ・グランデの右に連なる岩山は「パイネの角」と呼ばれています。登山をするには強風や、変化しやすい天候などの自然条件が厳しいため難易度は非常に高い。

サルト・グランデ/ Salto Grande

ノルデンフェールド湖からペオエ湖へと流れる滝。落差はないが、水量があるので迫力はあります。晴れた日には虹が出ることもあります。

パイネ国立公園
トーレス・デル・パイネ(パイネ国立公園)
パイネ国立公園
グアナコ(パイネ国立公園)
パイネ国立公園
サルト・グランデ(パイネ国立公園)

イースター島
Easter Island

南米大陸から3700km、タヒチから4000km離れた絶海の孤島。現地では、現在「ラパヌイ」とも呼ばれ、「世界で一番遠い島」の異名を持つこの島には独自の文明が栄え、世界的に有名な石像建造物「モアイ」をはじめ、未だに解読されていない文字「ロンゴ・ロンゴ」、無数の岩絵を残した「鳥人儀式」等、他では見られない不思議で溢れています。18世紀にヨーロッパ人に「発見」されるまで、島の記録が存在しないため、ミステリアスで謎に包まれています。周囲が60km弱と、とても小さな島ですが、その中にモアイが約900体もあります。その半数近くの約400体が集まるラノ・ララク(Rano Raraku)には、モアイの切り出し場(製造工場)として、彫っている途中のものや完成して運び始めたものなど、今も当時のままの状態で残されています。

イースター島
15体のモアイが立つアフ・トンガリキ
イースター島のモアイ分布図

ラパ・ヌイ国立公園
Rapa Nui National Park

島唯一の村・ハンガロア村

イースター島唯一の村ハンガロア村(Hanga Roa)に、島民の大半が住んでいます(島の人口は約4000人)。主要なホテルはこの村の中に建ち、村のメインストリートには、レストランや市場、雑貨店、土産屋等が点在しています。午後のシエスタ(13時~15時の長い昼休み)の間は、レストラン以外のお店は閉まります。空港から村の中央までは徒歩で約20分ほどで、村散策は1時間程度で楽しめます。

南海岸エリア

南海岸エリアは、1750年前後に始まったモアイ倒し戦争(フリ・モアイ)の激戦地でした。アフ・バイフ(Ahu Vaihu)には、うつ伏せに倒れた8体のモアイがあります。アフの下から多くの人骨が発見されたことから、かつては大きな村があったとされています。また、アフ・アカハンガ(Ahu Akahanga)には、南海岸の中でも最大級のアフがあり、イースター島初代の伝説の王・ホツマツアの墓といわれています。また、ボートを逆さにした形状の「ボートハウス」と呼ばれる住居跡が見つかり、全盛期には約3000人が居住する村があったと推測されています。バイフとアカハンガの間の海岸には、現在も倒れたモアイ像が点在しています。

ラノララク周辺エリア

イースター島観光のハイライトでもあるラノララク(Rano Raraku)は、かつてモアイ像をこの山から切り出して製造していた場所とされ、「モアイの製造工場」と呼ばれています。ハンガロア村から車で30分のところにあり、現在でも約400体のモアイが山の斜面に放置されたまま土に埋もれています。タヒチのティキ像に似た、正座するモアイ「トゥクトリ(Tuku Turi)」や高さ約21mの未完成のモアイ(島最大のモアイ)などもあります。山の斜面には「モアイの道」と呼ばれるモアイの運搬路の跡があり、ここで切り出されたモアイは、海岸沿いにあるアフまで何十㎞もの道のりを運ばれたとされています。巨大で重いモアイ像をどうやって運んだかは様々な説が唱えられていますが、いまだに解明はされていません。ラノララク山にも火口湖があり、湖面への斜面にもたくさんのモアイが残っています。一方、アフ・トンガリキ(Ahu Tongariki)には、見事に一列に並んだ15体のモアイ像が立っています。実はこのモアイ像、1960年のチリ大地震に伴う津波によって倒壊したのですが、日本企業(㈱タダノ)の援助によって、修復・復元され、1995年の世界遺産登録につながるきっかけにもなったものです。

北海岸エリア

北海岸エリアには、美しいビーチがあります。アナケナビーチ(Anakena Beach)といい、伝説の王・ホツマツアが上陸した最初の地といわれています。イースター島では数少ない白砂のビーチで、ハイシーズンには海水浴客で賑わいをみせます。タヒチから運ばれたヤシの木が植えられており、風が強く荒涼とした景色が多いイースター島の中では珍しく、トロピカルな雰囲気を作り出しています。ビーチのすぐ後方には、プカオを付けたアフ・ナウナウ(Ahu Naunau)のモアイが立っています。これらは1978年に復元されたものですが、倒されたモアイは長く砂に埋もれていたために保存状態が良く、モアイに刻まれた彫刻が細部まで見事に残っています。近くの丘に立つもう1体のモアイ像は、1956年にイースター島で最初に修復され立てられたもので、伝説の王・ホツマツアの像といわれています。また北海岸エリアには、不思議なパワースポットもあります。
テピトクラ(Ahu Te Pito Kura)という、島の言葉で「光のへそ」という名の丸い石があります(別名:地球のへそ)。石は磁気を帯びており、磁石をのせると針がぐるぐると回ります。何らかの宗教儀式に用いられていたと推測され、当時は丸い石の周りにイスとして配置された4つの石に座り、丸い石におでこを付けて瞑想をしていたといわれています。


イースター島
テピトクラ/磁気を帯びた「光のへそ」という名の丸い石
イースター島のモアイ分布図

モアイの修復に日本のクレーンメーカーが大きな貢献を

アフ・トンガリキ(Ahu Tongariki)は、祭壇に立つモアイ(高さ6~8m)としては島内最大級で、倒壊した15体もの巨大なモアイ像を香川県に本社をもつ日本のクレーンメーカー「㈱タダノ」が、修復に携わったことでも有名です。またイースター島では自然の雄大さを味わうことができる場所もあります。鳥人儀式が行われていたオロンゴ(Orongo)からの眺望や、直径1500mもある巨大なラノ・カウ(Rano Kao)の火口、無数にある洞窟等、これらも外せない見所です。車では入って行けない部分は、馬を利用して現地人に案内して貰うこともできます。

島を囲む海は世界一澄んでいると言われ、ダイビング、サーフィンなどのマリンスポーツも盛んです。とくに海水浴を楽しむにはヤシの木が生える白い砂浜のアナケナ海岸(Playa de Anakena)がお勧めです。年間を通して島の海水温はそれほど上がらず、強い夏の日差しの下では心地良く感じます。 イースター島にはどうしてモアイがあるのか?その理由はまだはっきりとはわかっていません。最大の魅力は何と言っても神秘のヴェールに閉ざされたイースター島そのものではないでしょうか。

イースター島の歴史

イースター島の起源は、遠い昔に太平洋の中に沈んでしまったパシフィス大陸(Pacific/太平洋大陸)の一部であったという説、イースター島の文化はオセアニア・メラネシア諸島からきたという説、巨石建造物で有名な南米のティワナコ文明・インカ文明とのつながりからフンボルト潮流と貿易風により南米からきたという説など様々な説がありますが、これといった決め手となる証拠はなく、いまだ謎に包まれています。

1722年オランダ海軍提督のヤコブ・ロッヘフェーンが3隻の船でこの島に上陸し、その日がキリスト教の「復活祭」にあたっていたため、イースター島と名づけられました。1770年当時ペルーを治めていたスペイン副王が、この島に目をつけ英国やフランスに先駆けて自国の艦隊を送り、その指揮下におきました。スペイン人船長はドン・フェリペ・ゴンザレスで島を「サン・カルロス島」と命名。その後、英国のキャプテン・クックが1774年に上陸。クックは日記に当時の様子をこのように記しています。「この島の住民の容姿、言語、生活習慣に関して、フィジー、タヒチなど西方の島民と共通性があり、同じ祖先を持つと思われる」。重要なことは、52年前のロッヘフェーンが記録した島の様子では、モアイはまだ引き倒されていなかったという点です。クックが上陸したころにはすでにモアイ像は倒されており、外国人の来訪が島民の生活や宗教儀式に影響を及ぼしていたと想像できます。

19世紀に入ると捕鯨船や真珠採取船などの欧米の船が多数上陸するようになりました。そして1862年に悲劇が起きます。ペルーで盛んに行われていたリン鉱石の採掘人夫の調達として、このイースター島の島民が奴隷狩りの対象となったのです。その数1000人といわれ、各国から非難をうけ1年後に奴隷解放するも過酷な重労働で、すでに900人余りが死亡。残り100人は帰還する船の中で蔓延した天然痘に罹患して、大半が死亡しました。最終的にはわずか15人程度が生還したといわれています。奴隷として連れ去られ死亡した中には、もちろん王やその身内、神官なども含まれており、島の貴重な文字、ロンゴロンゴを読める人はその後いなくなったと言われています。

1865年タヒチから来たフランス人実業家が島の王族の娘と結婚し、島を自分の支配下に置いたが、のちに暗殺され、その後引き継いだフランス人実業家が島を解放しました。1888年チリ(戦艦艦長ポリカルポ・トロ・ウルタド)がイースター島の領有宣言を行い、以降スペイン語の「イスラ・デ・パスクア(Isla de Pascua)」と呼ばれることになります。2つの世界大戦後、1966年に島の自治が認められ、1967年以降観光地としての道を歩み始めることとなり、 1995年世界遺産に登録されました。

イースター島
約400体近くのモアイが集まるラノ・ララク
イースター島
プカオを被るアフ・ナウナウのモアイ(アナケナ海岸を見下ろす丘)
イースター島
ハンガロア村から徒歩で行けるアフ・タハイ

チリの基本情報

正式名称
チリ共和国 / Republic of Chile
国旗
チリ国旗
首都
サンティアゴ
面積
75万6000K㎡(日本の約2倍)
人口
1,949万人 (2021年)
言語
公用語はスペイン語。
宗教
カトリック(15歳以上人口の70.0%)、福音派(15歳以上人口の15.1%)等
通貨
チリ・ペソ
1チリ・ペソ(CLP)=約0.17円(2023年4月現在)
時差
時差は日本-13時間。チリの方が遅れています。サマータイム中の時差は日本-12時間となります。
電圧
220V(マルチタイプがオススメです。)
パスポート
帰国時まで有効なもの
ビザ
不要/90日以内の滞在可
国際電話
国番号56 / 国際認識番号010
電話のかけ方
  • 日本からチリへ : 国際電話認識番号(010)+56+市外局番(0を取る)+電話番号
  • チリから日本へ : 国際電話認識番号(00)+81+市外局番(0を取る)+電話番号
持込制限
  • 貨幣 ●外貨・・・無制限(USドルのみ現地通貨に両替可)
  • その他 ●タバコ:400本または葉巻50本、刻みタバコは500g。●酒:2.5リットル(18歳以上)●香水:適量(個人用)
持出制限
  • 貨幣 ●現地通貨・・・無制限。

旅行関連情報

水道水
水道水は石灰の含有量が高いばかりでなく、アメーバ等が混在している危険性がありますので、飲用には適していません、ローカルな食堂などで食事をする場合は安全のためにミネラルウォーターを飲むことをこころがけて下さい。
水が殺菌されていても氷は殺菌されていない場合があるため注意してください。
食事
主食は米、トウモロコシ、麦、じゃがいも、豆類など色々です。セビッチェ、エンパナーダ・フリータ。
お土産
ラピスラズリ。
プラグタイプ
Cタイプ。
ホテルなどによって異なるので、マルチタイプのプラグをお持ち頂くことをお薦めします。プラグ
気候と服装
南部(パタゴニア地方)では、年間を通して冬服になります。逆に北のアタカマ周辺は、年間を通して日差しが強く暑いです。しかし、肌を出さずに長袖のシャツなどを着ましょう。直射日光が防げ日焼け防止にもなります。サングラスも必需品です。また、朝夜は冷えるのでパーカーがあると良いでしょう。サンチャゴ周辺も昼間は暖かくなりますが朝夜は冷えるので着まわしが聞く服だと便利です。

サンティアゴ(チリ)の月別平均気温(℃)

  1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
30 29 27 23 18 15 15 16 18 22 25 28
11 11 9 7 5 3 3 4 5 7 9 11
両替について
日本ご出国前に、米ドルを準備し、現地で米ドルをチリペソにご両替下さい。
日本円は、チリ国内にて、チリペソへの両替が不可の場合がございます。
また、可能な場合でも、レートはあまりよくないので実用的ではありません。
クレジットカードはVISA又はMASTERCARD。JCBは使えないところが多い。
チップの習慣
  • チリはかつてチップの習慣はありませんでした。
  • レストラン:料金の10%~15%。
  • ポーター、ルームサービス:1ドル程度
  • ガイド:5ドル程度
  • タクシー:基本的に必要はないが、キリの良い金額を支払うとよい。
在チリ日本大使館
  • 住所:Ricardo Lyon 520, Providencia, Santiago
  • 電話:(56 2) 2339-2200
  • FAX:(56 2) 2232-1812

<注意>上記情報は、2023年12月現在のものです。事前予告無しに変更となる場合もございます。