東西の歴史と文化の交易路

「シルクロードの国」イラン

イラン旅行情報

イランってどんなとこ?

イランの歴史のはじまりは、キュロス2世やダレイオス1世によって築かれた、アケメネス朝の時代(紀元前550年~紀元前330年)です。繁栄のさなか、アレクサンダー大王による東方遠征で侵攻され(紀元前330年)、アケメネス朝時代は終わりました。その後のセレウコス朝やパルティア王国の時代になると、イランは再び独立を取り戻し、ササン朝の時代(224年~651年)に大きく発展しました。イスラム教の始祖ムハンマドの死後、イスラム勢力による征服(7世紀)を受けたり、モンゴル帝国の侵攻(13世紀)など、歴史の荒波に飲まれる中常に異なる文化との交わりがあり、さらに発展してきました。

イランは中央アジアに位置し、カスピ海とペルシャ湾に面しています。地形は多様で、北部には山岳地帯(アルボルズ山脈)、中央には高原(イラン高原)、南部には砂漠地帯が広がっています。民族的にも多様で、ペルシャ人(イラン人)が主要な民族であり、アゼルバイジャン人、クルド人、アラブ人、バローチ人、トルクメン人なども多く住んでいます。これにより、イランは異なる言語や文化を抱える多民族国家です。気候も多様で、北部は湿潤で四季がありますが、南部は乾燥した砂漠気候が広がります。高原部は寒暖の差が大きい冷涼な気候です。宗教は主にイスラム教で、シーア派が多数派を占めていますが、ゾロアスター教も古い宗教として存在し、少数派が信仰しています。芸術と文学の伝統が古くから栄え、詩や美術、建築が国際的に評価されています。イラン絨毯や陶芸、ミニアチュア絵画は特に有名で、歴史的な遺跡も文化的な重要性を持っています。

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イスファハン
Isfahan

イランの第3の都市、イスファハンは首都テヘランから南へ飛行機で約1時間の距離に位置しています。この都市はかつてサファヴィ朝の首都として栄え、「イスファハンは世界の半分」とまで称されました。特に、イマーム広場は当時の繁栄を物語る名所であり、今なおその壮大な姿勢は訪れる者を圧倒します。歴史は古く、7世紀にアラブ人が侵入した際、この地は野営地とされ、軍隊の地を意味する「セパハーン」と呼ばれました。現在のイマーム広場は、イラン革命後に作られた公園のような空間であり、以前はポロの競技場や儀式の場、公開処刑の場として使用されていました。町の名前もこの時期に由来しています。イスファハンはシルクロードの要衝としても重要な位置にあり、イマーム広場や市内を流れる川沿いには雰囲気の良いチャイハネ(喫茶店)が点在しています。

  
イマーム広場
イマーム広場/シェイク・ロトフォーラー・モスク
イマーム広場
イマームモスク

ペルセポリス遺跡
Persepolis

ペルセポリスは、古都シラーズから車でわずか1時間の距離に位置しています。アケメネス朝ペルシャ帝国の都であり、第3代皇帝のダレイオス1世が建設を開始し、クセルクセス1世、アルタクセルクセス1世の3代にわたって造営が続けらました。この壮大な石造宮殿群は、完成時の総面積は約13万平方キロメートルにも及び、その巨大な規模は当時の帝国の力強さを物語っています。ちなみにペルセポリスとは「ペルシャ人の要塞」という意味で、ギリシャ人が付けた名称です。しかし、この壮大な都も紀元前330年頃にアレクサンダー大王によって陥落しています。かつて百本はあった柱も数本となり、美しいレリーフが残るのみですが、長らく砂の下に埋もれていたため、遺跡の保存状態はすこぶる良好です。

  
ペルセポリス遺跡
ペルセポリス遺跡/広大な敷地と無数の柱と宮殿群の跡
ペルセポリス遺跡
ペルセポリス遺跡/壁面に描かれた美しいレリーフ

ナクシェ・ロスタム遺跡
Naqsh-e Rostam

ナクシェ・ロスタムは、ペルセポリスの北約10kmの位置にあるペルシャの王たちの墓が集まる場所で、いわゆるエジプトの王家の谷のミニ版のような存在です。建造はアケメネス朝時代にさかのぼり、造営はササン朝時代まで続きました。アケメネス朝の歴代4人の王の墓が岩肌に十字の形に彫り込まれています。ダレイオス1世(大王)、クセルクセス1世、アルタクセルクセス1世、ダレイオス3世です。また近くにはササン朝のシャープール1世が東ローマ帝国の皇帝をとらえたシーンを描いたレリーフもあります。岩肌に彫り込まれた王墓は、巨大な石の板で覆われており、墓の上部にはゾロアスター教のシンボル「羽の生えた円盤にのるアフラマズダ」が刻印されています。

  
ナクシェ・ロスタム
ナクシェ・ロスタム/岩肌に彫り込まれた歴代の王の墓
ナクシェ・ロスタム
ナクシェ・ロスタム/墓の上部にあるゾロアスター教の神アフラマズダの刻印

パサルガダエ遺跡
Pasargadae

パサルガダエは、ペルセポリスの北東約75kmの位置にあり、アケメネス朝の建国者でペルシャ帝国初代の王「キュロス2世(大王)」のお墓がある場所です。広大な敷地には、お墓以外にもキュロス2世に関係する建造物があります。キュロス2世の墓は非常に簡素で、石造りの箱型構造となっています。彼の業績は偉大で、エルサレム神殿破壊してユダヤ人をバビロンに連行(バビロン捕囚)したネブカドネザル2世の新バビロニア王国を征服(紀元前539年)した後に、囚われたユダヤ人捕虜を解放し、エルサレムの神殿再建を許可するなど、異なる民族・宗教への寛容政策を実行しています。のちにユダヤ世界でも彼の業績は称賛を受けています。

  
パサルガダエ遺跡
パサルガダエ遺跡/ペルシャ帝国初代の王・キュロス2世(大王)のお墓
パサルガダエ遺跡
パサルガダエ遺跡/スーサに遷都する前のアケメネス朝の最初の首都

ヤズドとゾロアスター教
Yazd and Zoroastrianism

ヤズドはゾロアスター教の聖地として知られています。ササン朝の創始者アルダシール1世が国の統治に必要な宗教としてゾロアスター教を国教に定めペルシャ全土に広めましたが、後にアラブ人による征服により多くのペルシャ人はイスラム教への改宗を余儀なくされ、少数派へと変わりました。ゾロアスター教の創始者ザラス・シュトラは、善と悪の二元論や最終的な審判、救世主の到来など基本的な教義を確立しました。ゾロアスター教の教義では、この世は善と悪の闘争の場であり、人間は自由意志でその闘争に参加できます。最終的には善が勝利し、終末には救世主ゾロアスターが現れますが、悪霊に荷担した者は最後の審判で罰せられるとされています。ヤズドには今でもゾロアスター教徒が多く住み、町の中にはゾロアスター教寺院(アーテシュキャデ)があります。異教徒でも見学が可能で、ここには光と善の最高神アフラ・マズダを唯一神として奉る聖火があり、ガラス越しに見学ができます。

  
ヤズド
ヤズド/沈黙の塔ではかつて鳥葬の儀式が行われていました
ヤズド
ヤズド/ゾロアスター教・光と善の最高神アフラ・マズダ

エラム王国とチョガザンビル
Chogha Zanbil

紀元前22世紀頃に誕生したとされるエラム王国は、メソポタミア文明の国、シュメール都市国家(ウル第3王朝を滅亡させている)やバビロニア王国などと、たびたび衝突があったと記録に残っています。チョガザンビルは紀元前13世紀頃の建造とされており、1935年に調査飛行中に偶然に発見されました。一辺が105mで四隅が東西南北を指し、五層でからなる高さ約28mの巨大な神殿です。頂上部分にはエラム人の最高神を祀る寺院があり、階段の側面には王の名を刻んだ楔形文字が残っています。エラム王国は紀元前12世紀頃から弱体化がはじまり、紀元前640年にアッシリア帝国のアッシュール・バニパル王によってこの神殿(ジッグラト)は破壊され、エラム王国は滅亡したとされています。

  
チョガザンビル
チョガザンビル/エラム王国の繁栄を示す巨大な階段状神殿(ジッグラト)
チョガザンビル
チョガザンビル/五層でからなる高さ約28mの巨大な神殿

イランの基本情報

正式名称
イラン・イスラム共和国 / Islamic Republic of Iran
国旗
イラン国旗
首都
テヘラン
面積
1,648,195K㎡(日本の約4.4倍)
人口
8,920万人 (2023年)
言語
公用語はペルシャ語。トルコ語、クルド語、アラビア語、ギーラキ語、バルーチ語など
宗教
イスラム教(主にシーア派)、他にキリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教等
通貨
イラン・リヤル
1イラン・リヤル(IRR)=約0.0035 円円(2024年1月現在)
時差
時差は日本-5時間30分。イランの方が遅れています。サマータイムはない。
電圧
220V(マルチタイプがオススメです。)
パスポート
入国時6ヵ月以上、1ページ以上。
イスラエルの出入国スタンプがあるパスポートの場合、イランやサウジアラビアなど一部のアラブ諸国に入国できないことがございます。
(※該当諸国に関しては、規定が変わることがございますので、その都度ご確認ください)
ビザ
必要/ ビザの取得はイラン・イスラム共和国大使館(東京)にて可能です。 観光目的の場合、事前にオンラインでビザ発給番号を入手すれば、空港で到着ビザ(Visa On Arrival)の取得が可能です。
国際電話
国番号98 / 国際認識番号010
電話のかけ方
  • 日本からイランへ : 国際電話認識番号+98+市外局番(0を取る)+電話番号
  • イランから日本へ : 国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号
持込制限
  • 貨幣 ●外貨・・・5,000米ドル(相当)以上の外貨を持ち込む場合は、入国時に申告が必要です。
  • その他 ●新品の電化製品、パソコン、デジタルカメラを持ち込む場合には、税関での申告が必要です。。
  • 禁止の物 ●酒類、豚肉及び豚肉加工品(ハム、ソーセージ等)、刀剣類、薬(イランで購入可能なもの)、麻薬、覚せい剤、社会風俗(イスラム的)を乱すCD・ビデオテープ・雑誌類。
持出制限
  • 貨幣 ●外貨・金貨・・・入国時に申告した額以上の外貨を持ち出すことはできません。
  • 貨幣 ●現地通貨・・・50,000,000リアルまで。。
  • その他 ●ピスタチオ、サフランはそれぞれ10kg、100g以下 ●絨毯は:1人につき20㎡以下 ●民芸品等は:税関審査官の判断によりますが、個人の土産品の範囲●金のアクセサリー類:総量150g以下

旅行関連情報

水道水
無菌で良質と言われていますが、日本と比べてカルシウムやマグネシウムを多く含む硬水で、下痢を起こすこともあるため注意が必要、ミネラルウォーターを飲むことをこころがけて下さい。
食事
主食はお米(ベレンジ)、パン(ナーン)です。野菜や肉を煮込んだマイルドな味の料理が多い。キャバーブ(ひき肉に味付けをした串焼き)、ホレシュ(イラン版のシチュー)、クーフテ(ミートボール)など。
イスラム教で禁止されている食材(ハラーム)は食べることが出来ません。例えば、豚肉・鱗がない魚・アルコール類など。
お土産
ペルシャ絨毯、ギャズ(お菓子ヌガー)、ハータムカーリー(象嵌(ぞうがん)細工)、ミーナカーリー(陶磁器)など
プラグタイプ
C・SEタイプです。
マルチタイプのプラグをお持ち頂くことをお薦めします。プラグ
気候と服装
日本と同じような四季があります。カスピ海沿岸の北部は、冬季は0度まで下がることもあるが、年間を通じて湿潤は気候で日本より湿気が多い。テヘランなど内陸地は冬季は降雪もあり、夏季は乾燥していて暑い。南部のペルシア湾、オマーン湾沿岸のでは、冬は穏やかで、夏には温度・湿度ともに非常に高くなる。女性は、基本的に、人前(ホテルのお部屋以外)では髪の毛、肌(顔と手以外)をかくします。髪を覆うスカーフ類、体の線を出さない服装を心がけてください。男性は、ノースリーブや、半ズボンなどの、肌を露出するものはお避けください。

テヘラン(イラン)の月別平均気温(℃)

  1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
8 11 16 23 28 34 37 36 31 25 16 9
0 1 6 12 17 20 23 23 20 13 8 3
両替について
日本ご出国前に、ユーロ又は米ドルを準備し、現地でユーロ又は米ドルをイラン・リヤルにご両替下さい。
日本円は、イラン国内にて、日本円からイラン・リヤルに両替レートが悪いため、ユーロ又は米ドルをご持参ください。
クレジットカードはVISA又はMASTERCARD。JCBは使えないところが多い。
チップの習慣
  • 一般的にチップの習慣があります。
  • レストラン:料金の10%~15%。
  • ポーター、ルームサービス:1ドル程度
  • ガイド:終日の場合、20ドル程度
  • タクシー:1人1ドル程度。
在イラン日本大使館
  • 住所:162,Moghadas Ardebili Street, Tehran, Postal Code :19856-93653
  • 電話:(98)21-22660710
  • FAX:(98)21-22660747

<注意>上記情報は、2024年1月現在のものです。事前予告無しに変更となる場合もございます。