多彩な民族と失われたアーク(聖櫃)が眠る

「神秘と謎の国」エチオピア

エチオピア旅行情報

エチオピアってどんなとこ?

エチオピアは非常に古い歴史を持つ国であり、最古の人類の化石ルーシー(Lucy)が発見された場所としても知られています。紀元前1世紀頃に、セム系民族がアクスムを都とする「アクスム王国」を建国し、アラビアやローマ帝国との交易(象牙や香料の輸出)を通じて大規模な王国へと成長しました。最盛期の3~4世紀頃には古代ローマ帝国に匹敵するほどの国土を統治し、6世紀にかけて領土を拡大し東アフリカ地域における強力な王国となり、後の「エチオピア帝国(アビシニア帝国)」の基盤が出来上がりました。その後、エチオピアは数世紀にわたって異なる王朝の支配を経験しながらも、1889年にメネリク2世によってエチオピア帝国が建国されました。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ列強がアフリカ大陸を分割支配する「スクランブル・フォー・アフリカ」が行われ、多くのアフリカ諸国がヨーロッパの植民地となりましたが、エチオピアはその例外でした。エチオピアの独立を死守した記念すべき戦い「アドワの戦い(1896年)」で、イタリアの帝国主義的な侵略を撃退し、この戦いの勝利がヨーロッパの植民地支配から逃れるきっかけとなり、アフリカ大陸における唯一の独立国となったのでした。

エチオピアには、およそ80以上の民族グループと、200以上の異なる言語が存在します。なかでも最大民族はアムハラ人とオモロ人で、両民族はエチオピア総人口の60%以上を占めているとされています。また、人種や生活様式については、北部と南部で大きく異なります。北部地域にはセム系民族のアムハラ人やティグレ人が主に居住し、キリスト教(エチオピア正教会)文化の影響を大いに受けています。一方、南部地域には多様な民族グループが広がり、高地から低地、山岳地帯からサバンナや森林地帯までさまざまな地形と気候帯があり、地理的・環境的な要素も絡み合って、地域ごとに異なる独自の言語や文化、伝統があり、非常に特徴のある部族社会が形成されています。

北部は標高が高いために一年を通して比較的涼しく、北部の乾季は10月から2月まで、雨季は6月から9月まで続きます。アクスム、ラリベラ、シミエン国立公園などの北部の観光名所を訪れる場合は乾季の時期がお勧めです。南部はアフリカ大地溝帯の一部であるリフトバレーが広がっており、起伏の激しい山岳地帯や深い渓谷があります。南部の乾季は11月から3月まで、雨季は4月から10月まで続きます。オモ川流域の部族集落を訪れる場合は、乾季の時期をお勧めします。

最後にエチオピアの食文化についてひとこと。インジェラと呼ばれる発酵パンケーキが主食とされ、これはテフと呼ばれる小麦粉を発酵させたもので、様々な料理と一緒に食べられます。エチオピア料理はスパイスを多用し、特にチリペッパーやニトキなどが使用されます。また、エチオピアではコーヒーが重要な文化的な役割を果たしており、ゲストをもてなす際に行われる伝統的な儀式として、「コーヒーセレモニー」が行われることもありますので是非知っておいてください。

  • list_iconエチオピア旅行の一覧

バハルダール
Bahir Dar

バハルダール(Bahir Dar)は、アジスアベバから空路で約45分、青ナイルの源流のタナ湖の南岸に位置する町です。タナ湖には現在37の小島があり、合計20箇所にエチオピア正教の教会や修道院があります。こうした修道院は13世紀~17世紀頃に建造されました。修道院の壁には独特のキリスト教絵画(フレスコ画)が描かれており、修道院建設当時の聖書や十字架なども残っています。もう一つの観光名所の「ティシサットの滝」は、町から約35kmほど離れたところにはあり、青ナイルの水源にもっとも近い滝として知られています。


タナ湖に浮かぶ小島
タナ湖に浮かぶ小島
タナ湖の小島にある修道院
タナ湖の小島にある修道院
ウラキダネミフレット教会のフレスコ画
ウラキダネミフレット教会のフレスコ画
ティシサットの滝
ティシサットの滝

ティシサットの滝/ Tis Issat Falls

バハルダールの町から約35km、車で約30分から1時間程度の距離にあります。青ナイルの水源にもっとも近い滝として知られています。滝からは白い水しぶきが舞い上がり、周囲の岩壁には鮮やかな虹がかかることもあります。滝周辺には観光施設や展望ポイントが整備されいます。

ゴンダール
Gondar

ゴンダール(Gondar)は、バハルダールから車で約3時間、タナ湖の北東に位置する由緒ある町で、17世紀の中頃から約200年間、エチオピア帝国の首都だった町です。1632年にファシリダス王がゴンダールに遷都して城を築き、6代にわたって100年以上繁栄が続きました。この期間を「ゴンダール時代」と呼んでいます。街は地形に対応してさまざまな住区が広がり、ソロモン朝ゴンダール期には3つの王宮群が建設され、中でも最大級の王宮群である「ファジル・ゲビ」には、歴代の皇帝が建設した6つの宮殿や12ヵ所の城門が残されています。もうひとつの名所は「デブレ・ベルハン・セラシエ教会(Debre Berhan Selassie Church)」です。17世紀にイヤス帝により建立された教会で、ゴンダールにある44の聖堂のうち唯一残るオリジナルの教会です。1880年代に略奪するスーダンの教団(侵入者)を蜂の巨大な群れが追い払い、教会を守ったと言われています。教会内の天井には80体の黒人天使が描かれており、神の力はあらゆる方向に向いているという意味をこめて、天使の顔は様々な方向に向いて描かれています。


デブレ・ベルハン・セラシエ教会
デブレ・ベルハン・セラシエ教会
教会内の天井には80体の黒人天使が描画
教会内の天井には80体の黒人天使が描画
デブレ・ベルハン・セラシエ教会のフレスコ画
デブレ・ベルハン・セラシエ教会のフレスコ画
ファジル・ゲビの不思議の城
ファジル・ゲビの不思議の城

ファジル・ゲビ/ Fasil Ghebbi

標高2300mのファジル・ゲビの丘に広がる石造建築物は、17世紀にゴンダールを首都として栄えたファシリダス王(Fasilidas)によって建造されました。6つの城と12カ所の城門をもつ、この複合建築物群は、アフリカで中世ヨーロッパの城を彷彿とさせる美しい城が立ち並ぶことから「不思議の城」としても知られています。インド・アラブ建築やイエズス会の宣教師によってもたらされたバロック建築やルネサンス建築など、さまざまな建築様式が組み合わさっています。後の研究者によっては「ゴンダール様式」と称され、その独特かつ美しいデザインが特徴とされています。この建築物群は、その総称として「ファジル・ゲビ」と呼ばれ、1979年にユネスコの世界遺産に登録されました。また、現在でもファジル・ゲビではエチオピア正教会の宗教的な儀式や祭りが執り行われることもあります。

ラリベラ
Lalibela

ラリベラ(Lalibela)は、ゴンダールから空路で約30分、聖地エルサレムを模して作ったとされるこの田舎町には、合計11の岩窟教会があります。巨大な一枚岩を彫りぬいて作られた岩窟教会の姿は見事な出来栄えで、現在の彫刻技術をもってしてもかなわないともいわれています。教会群はヨルダン川を挟んで、第一グループと第二グループに分類でき、2つのグループから離れたところに、聖ゲオルギス教会(正十字架形の教会)があります。毎年1月19日には、キリスト教の洗礼を祝う「ティムカット」というお祭りがあります。タボットと呼ばれるアーク(聖櫃)のレプリカを11の岩窟教会から担ぎ出して、僧侶たちのあとを信者たちが練り歩くという盛大なお祭りです。


ラリベラの岩窟教会
聖ゲオルギス教会/正十字架形で最も有名な教会
ラリベラの岩窟教会
ラリベラの十字架(Lalibela Cross)をもつ修道士
ラリベラの岩窟教会
エマヌエル教会/岩窟教会群で最も美しい教会です
ラリベラの岩窟教会
聖ゲオルギス教会を上から見る/正十字架形で最も有名な教会

ラリベラの岩窟教会群/ Rock-Hewn Churches

標高2600mのラリベラにある岩窟教会群はキリスト教(エチオピア正教)の教会群で、13世紀初めサグウェ朝の7代国王ラリベラが当時イスラム教徒の手に渡っていた聖地エルサレムを偲び、「第二のエルサレム」をつくる目的でヨルダン川の両岸に岩をくりぬいて11の岩窟教会群を造ったといわれ、現在も信仰生活の拠点となっています。
【第一教会群】/マドハネ・アレム教会(救世主)、マリアム教会(聖母マリア)、ゴルゴタ教会(ラリベラ王の墓所)、マスカル教会(聖十字架)、デナゲル教会(聖処女の家)
【第二教会群】/エマヌエル教会、メルクリオス教会、アッバ・リバノス教会、ヘレム教会(ベツレヘム)、ガブリエル・ラファエル教会、そして少し離れたヨルダン川の西にある聖ゲオルギウス教会

アクスム
Axum

アクスム(Axum)は、ラリベラから空路で約30分、エチオピア文化の発祥の地で、かつてアクスム王国の首都だった町です。エチオピアの口承伝説をまとめた「ケブレ・ナガスト」によると、シバの女王とソロモン王の間の子供、メネリク1世が成人し、父であるソロモン王との対面を果たした後、帰国する際に多数のユダヤ人をエチオピアに招くとともに、イスラエルにあったモーセの十戒の石板を収めた「アーク(聖櫃)」を密かに持ち帰ったとされています。そのアークは現在、ここアクスムのシオンの聖マリア教会(歴史ある古い聖マリア教会のほう)に安置されていると地元では信じられています。なお古い聖マリア教会の隣には、20世紀に建てられた大きな新しい聖マリア教会がありますのでお間違えなく。またアクスムでもうひとつ有名なものがあります。それは巨大なオベリスクの存在です。アクスム王国期に作られたとされ、一枚の花崗岩を彫刻してつくられたオベリスクは最高で高さ33m、重さ約100トンもあり、エジプトのルクソール神殿の塔門前のオベリスク(高さ25m)よりもはるかに巨大です。残念ながら現在地上に崩れ倒れていますが、このような巨大なオベリスクがかつて300以上もあったとされています。


オベリスク
オベリスク
シオンの聖マリア教会
シオンの聖マリア教会(新しい教会)
崩れたオベリスク
崩れたオベリスク
オベリスク
オベリスク

アクスム王国/ Kingdom of Aksum

欧州への象牙や香料の輸出で栄えたアクスム王国(紀元前1世紀頃~後9世紀頃まで繁栄)は、最盛期の3~4世紀には古代ローマ帝国に匹敵するほどの国土を統治していたといわれています。4世紀にキリスト教(のちのエチオピア正教)に改宗して広大な王国を統治するも7世紀には衰退がはじまり、9世紀にはイスラム世界の侵攻を受けて滅んでいます。これだけ繁栄を極めたアクスム王国には、なぜか大規模な宮殿や建造物などの遺跡が発見されていません。研究者によると、王国の遺跡の90%はアクスムの町の下、土中に埋没していると考えられています。その手掛かりがあの謎めいた「オベリスク」だと注目されています。数多くのオベリスクはすべて一枚岩から削りだして作られており、最大のものだと長さが33mもあります。オベリスクには窓やドアの彫刻が刻まれているものもあり、アクスム王国の人々はオベリスクを死んだ王の魂の住むところと考えていたようです。そして、巨大なオベリスクが現代まで立ち続けているのはあの「アーク(聖櫃)」の力のおかげだと信じられています。

アルバミンチ
アルバミンチ

アルバミンチ
Arba Minch

アルバミンチ(Arba Minch)は、アディスアベバの南約350km、飛行機で1時間、車でおよそ10時間かかるエチオピア南部の高原都市です。アムハラ語で「40の泉」という意味があり、アルバは「40」、ミンチは「泉」の意味です。このあたりはアフリカ大地溝帯の底部にあたり、水分が多く、たくさんの湖があります。特にチャーモ湖はペリカンやワニ、カバなどの野生生物が生息しており、ボートでの観察が楽しめます。町はアバヤ湖湖畔で主要な建物が多いセカラ地区と、セカラ地区より西にあり200m高地のセチャ地区からなっています。外国人相手のホテルは、おもにセチャ地区に集中しています。町の名前は「40の泉」となっていますが、町から簡単に行ける湖は少ないのでご注意ください。

南部エチオピアの少数民族

オモ川下流域に位置するマゴ国立公園の周辺には、アリ、ムルシ、カロ、バンナ、ハマル、ダサネチといった比較的人口の少ない民族集団が居住し、人類初期の要素をとどめる独特の文化を残しています。これらの少数民族の中でも特に有名なのがムルシ族で、女性が下唇を切って、土器や木製の皿をはめる風習で知られています。周辺の民族集団は、国立公園設立以前から公園領域内で養蜂を行っていました。国立公園が設立され、境界内での人的活動が全て禁止された後も、養蜂は一定の手続きをすれば許可されており、園内には1万ともいわれる養蜂箱が設置されています。

ムルシ族の村(マゴ国立公園)
ムルシ族の村(マゴ国立公園)
ハマル族の村(トゥルミ)
ハマル族の村(トゥルミ)
南部エチオピア・少数民族分布図

ジンカとマゴ国立公園周辺の少数民族

ジンカ(Jinka)は、アルバミンチから車で2時間~2時間半程度の距離にあります。エチオピア南部のオモ川下流域に位置し、多くの少数民族の文化や生活様式が見られる地域の中心地であり、周辺地域の探索や、マゴ国立公園(Mago National Park)やオモ国立公園(Omo National Park)へのアクセスの起点となっています。エチオピア南部では、さまざまな民族が集まる定期市が毎日開催されています。例えば、ハマル族、バンナ族、カロ族の人々が集まるディメカ(Dimeka)の土曜市やトゥルミ(Turmi)の月曜市、カイアファール(Key Afar)の木曜市、そしてコンソ族が集まる月曜市などが特に有名です。これらの市では、日用品から水入れの壺、香辛料、フルーツ、穀物などの食料品、そして女性が髪に塗る赤土など、市によって取り扱われる商品は多岐にわたります。

ムルシ族 / Mursi

ムルシ族はマゴ国立公園内に居住し、女性は「デヴィニャ」と呼ばれる唇装飾(リッププレート)を身につけます。デヴィニャは美しさを象徴し、結婚時の牛の数に関連しています。また、収穫が終わる8月から9月には「ドンガの儀式」と呼ばれる戦いが行われ、2m以上の杖を使った競技や模擬戦闘が行われます。

カロ族 / Karo

カロ族の居住地域は、南部オモ川流域にあります。美的な要素を重視した文化で知られており、特徴的なボディペイントや装飾品を身につけています。特に男性は白い粘土を使って顔や体に装飾的な模様を描いています。また、カロ族は水辺での漁労や灌漑農業を行い、オモ川を通じて他の民族と文化的な交流や貿易を行っています。オモ川を見下ろす高台にあるコルチョ村やダス村などは有名です。

バンナ族 / Banna

バンナ族の居住地域はオモ川周辺に広がっており、カイアファール(Key Afar)を中心に、ジンカやトゥルミの周辺にまで及びます。バンナ族は独特の装飾や身体装飾を好み、特に女性はビーズや色とりどりの布で作られたネックレス、ブレスレット、頭飾りなどを身に着けます。

ハマル族 / Hamar

ハマル族はトゥルミ近郊に住み、女性は豪華な髪飾りや装飾品を身につけ、特に女性は髪や体に赤土を塗り、装飾的なスカーフやビーズで作られた首飾りを身に着けます。男性には「ブルジャンピング(牛跳び)」と呼ばれる伝統的な成人儀式があります。若者が成人を迎える際に行われるもので、牛の背中に飛び乗ることを試みる勇気と力強さを示す儀式です。

コンソ族 / Konso

コンソ族は約20万人の人口を抱える民族で、彼らの町コンソ(Konso)を中心に暮らしています。毎週月曜日には大規模な市場が開かれます。彼らはエチオピア最大の民族グループのオロモ族に近い関係にあり、約500年前に遊牧民との争いによりサバンナ地帯から追われ、山の頂上に移住したと言われています。彼らはエチオピア正教を信仰し、先祖崇拝も根強く残っており、現在も王が存在し、観光客は王宮を訪れることができます。かつてはコンソの英雄が亡くなると、「ワカ」と呼ばれる墓のようなものを建てて祀っていました。しかし、古いワカの多くは観光客や研究者によって持ち去られ、現在ではわずかに王宮の近くに残るのみとなっています。

シミエン国立公園
Simien National Park

シミエン国立公園はエチオピア北部に広がる美しい自然保護区で、シミエン山脈の断崖絶壁や深い渓谷が特徴です。起点となるゴンダールの町からシミエン国立公園までの距離はおおよそ180km、車での所要時間は3時間30分です。最高峰のラス・ダシャン山(標高4550m)をはじめとする高山が連なり、「アフリカの屋根」とも呼ばれています。公園内にはキャンプサイトやトレイルが整備されており、美しい景観を楽しみながら野生動物の観察やハイキングができます。エチオピア固有種のゲラダヒヒの生息地としても有名であり、彼らは体長約1mで、オスは大きな角、赤い胸毛、黒くて厚い毛皮が特徴です。草食性で公園内の豊富な草や植物を食べて生活しています。公園内では彼らの群れを間近で観察することができます。シミエン国立公園は、1978年にユネスコ世界遺産に登録されました。


シミエン山脈の美しい景観
シミエン山脈の美しい景観
シミエン国立公園に生息するゲラダヒヒ
シミエン国立公園に生息するゲラダヒヒ

ダナキル砂漠
Danakil Desert

ダナキル砂漠は、世界で最も暑い場所の一つとして知られており、夏には気温が50度以上に上昇し、冬でも40度を超えることがあります。そのため比較的気温が下がる11月から2月が観光のベストシーズンとなります。この地域はエチオピアとジブチにまたがり、アファール族(Afar)が主に居住していることから、別名「アファール低地」とも呼ばれます。アラビアプレート、アフリカプレート、ソマリアプレートと三つの構造プレートが集まり、通常は海底にある構造プレートの継ぎ目(海嶺)が地表に現れている希有な場所です。この地域では、約3000万年前の太古から地殻変動が続き、噴火を繰り返す活火山や、煮えたぎる溶岩湖、そして鮮やかな色彩を放つ湖があります。さらに、海抜マイナス150mの湖には、かつて流れ込んだ海水が厚い塩の層として堆積しています。
ダナキル砂漠の中心にはアフデラ湖(Lake Afrera)が広がり、その輝く塩の結晶が美しい景観を作り出しています。湖畔にはアハメッド・エラ(Ahmed Ela)という小さな村があり、ダナキル砂漠への出発点となっています。エルタ・アレ火山(Erta Ale Volcano)はダナキル砂漠の最も有名な地形の一つで、常に活発な火山活動を繰り返しており、溶岩湖が絶えず湧き出しています。その湖は煮えたぎるような赤い溶岩で満たされており、夜の火口見学は必見で幻想的な光景を放っています。ダロール地区には、ダロール火山(Dallol Volcano)をはじめ、塩の奇岩群や硫黄泉といった不思議な景観が広がっています。ダロール火山では、熱された塩水が噴出することによってできた、想像を絶する極彩色の絶景が広がります。海抜マイナス150mのアサレ湖(Lake Asale)は、現在も塩の採掘が行われる重要な地域で、塩の交易で長い歴史をもっています。そのため、湖にあるアサレ山(Asale Mountain)はアファール族にとって霊的な存在(聖なる山)として、古くから信仰の対象として崇拝されています。


ダロール火山
ダロール火山の極彩色の景観
エルタ・アレ火山
エルタ・アレ火山の溶岩湖

エチオピアの基本情報

正式名称
エチオピア連邦民主共和国 / Federal Democratic Republic of Ethiopia
国旗
エチオピア国旗
首都
アディスアベバ
面積
109万7000K㎡(日本の約3倍)
人口
11,787万人 (2021年)
言語
公用語はアムハラ語、オロモ語、英語等。
宗教
キリスト教、イスラム教他
通貨
エチオピアブル
1エチオピアブル(ETB)=約2.50円(2023年4月現在)
時差
時差は日本-6時間。エチオピアの方が遅れています。サマータイムは実施していません。
電圧
220V(マルチタイプがオススメです。)
パスポート
査証発行日より6ヵ月以上。
ビザ
必要。出発前に事前取得する。
国際電話
国番号251 / 国際認識番号010
電話のかけ方
  • 日本からエチオピアへ : 国際電話認識番号+251+市外局番(0を取る)+電話番号
  • エチオピアから日本へ : 国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号
持込制限
  • 貨幣 ●外貨・・・外貨:無制限(3,000米ドル以上は要申告)
持出制限
  • 貨幣 ●現地通貨・・・無制限(3,000米ドル以上は要申告)

旅行関連情報

水道水
都市部の水道水は飲用可能といわれていますが、ミネラルウォーターを飲むことをこころがけて下さい。
食事
主食はクレープ状のパン(インジェラ)です。ドロワット(鶏肉の煮込み)、カイワット(肉の煮込み)、シェロワット(豆の煮込み)などが有名。
お土産
エチオピア・コーヒー、エチオピアワイン、布製品、エチオピアクロス
プラグタイプ
C・E・F・Lタイプです。
マルチタイプのプラグをお持ち頂くことをお薦めします。プラグ
気候と服装
日中は日差しが大変強いので、日よけ対策をしっかり行ってください。帽子やサングラスも忘れずにお持ちください。朝晩は冷え込む時もありますので、ジャンバー、ウインドブレーカーなどをお持ちになり、重ね着でご調整ください。観光地でも設備の整っていない所が多くございます。履きなれた歩きやすい靴でご参加ください。正装の必要はございません。虫除け対策として、肌の露出は控えてください。
エチオピアの乾期(10月から5月)は日差しが強く、日中の気温は上がりますが、高地にあるため朝晩は冷え込みます。

アディスアベバ(エチオピア)の月別平均気温(℃)

  1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
23 24 25 24 25 23 20 20 21 22 23 23
7 8 10 11 11 10 10 10 10 8 7 7
両替について
日本ご出国前に、ユーロ又は米ドル、を準備し、現地でユーロ又は米ドルをエチオピアブルにご両替下さい。
米ドルでそのままお買い物ができるところもございます。
日本円は、エチオピア国内にて、日本円からエチオピアブルに両替できません。(アディスアベバ空港の両替ブース、一部の銀行、一部のホテルを除く)
クレジットカードはVISA又はMASTERCARD。JCBは使えないところが多い。
チップの習慣
  • 一般的にチップの習慣があります。
  • レストラン:料金の10%~15%。(サービス料なしの場合)
  • ポーター、ルームサービス:1ドル程度
  • タクシー:小銭程度。
在エチオピア日本大使館
  • 住所:P.O.BOX 5650, Bole Sub-city Woreda6, House No.431, Addis Ababa, Ethiopia
  • 電話:(251) 011-667-1166
  • FAX:(251) 011-667-1177

<注意>上記情報は、2022年12月現在のものです。事前予告無しに変更となる場合もございます。