古代遺跡と地中海リゾートが魅了する

「東西文明の十字路」トルコ

トルコ旅行情報

トルコってどんなとこ?

トルコの歴史は、紀元前7000年頃のチャタル・ヒュユクに始まります。この新石器時代の集落は、最初期の農耕社会の一つとして知られ、精巧な建築と壁画が特徴です。紀元前2000年頃には、ヒッタイト帝国がアナトリア中央部に誕生し、鉄器の使用を広め、強力な軍事力と行政機構を築きました。紀元前1200年頃のヒッタイト帝国の崩壊後、アナトリアにはウラルトゥ王国リディア王国が出現します。リディア王国は、世界で初めて金と銀の合金で貨幣を鋳造し、商業の発展を促進しました。紀元前6世紀になると、アケメネス朝ペルシャがアナトリアを征服し、その後、紀元前4世紀にアレクサンドロス大王の東方遠征により、マケドニア帝国の一部となりました。アレクサンドロスの死後、セレウコス朝が支配を確立し、紀元前1世紀にはローマ帝国の一部となります。ローマ帝国はアナトリアを重要な州とし、後に東ローマ帝国(ビザンチン帝国)として存続し、首都のコンスタンティノープルは東方正教会の中心地として発展し、ユスティニアヌス1世によるアヤソフィアの建設など、多くの文化的遺産が残されました。11世紀に入ると、中央アジアからセルジューク・トルコ人がアナトリアに進出し、1071年のマンジケルトの戦いでビザンチン帝国に決定的な勝利を収め、アナトリアの大部分を征服しました。セルジューク朝はイスラム文化とペルシャ文化を融合させた豊かな文化を築きました。13世紀末、セルジューク朝の衰退に伴い、オスマン帝国がアナトリア西部に誕生しました。オスマン帝国は迅速に勢力を拡大し、1453年にはコンスタンティノープルを征服してビザンチン帝国を終焉させました。オスマン帝国はその後、ヨーロッパ、アジア、アフリカにまたがる広大な領土を支配し、16世紀から17世紀にかけて最盛期を迎えました。この時期、スレイマン1世(大帝)の治世下で、オスマン帝国は軍事的、政治的、文化的に繁栄し、イスタンブールは文化と学問の中心地として栄えました。
19世紀に入ると、オスマン帝国は「ヨーロッパの病人」と称されるほど衰退し、列強の干渉を受けるようになりました。バルカン戦争やイタリア・トルコ戦争など、多くの戦争と反乱に見舞われました。第一次世界大戦での敗北後、オスマン帝国は崩壊し、1923年にムスタファ・ケマル・アタテュルクがトルコ共和国を建国しました。アタテュルクは急速な近代化と西欧化を推進し、共和制、政教分離、教育改革、女性の権利拡大など、多くの改革を実施しました。

人種・民族の面では、トルコ人が大多数を占める一方、クルド人、アラブ人、アルメニア人、ギリシャ人、ラズ人、チェルケス人など、多様な民族が共存しています。特にクルド人は東部と南東部に多く居住しています。こうした多民族の社会はトルコの文化的多様性を生んでいます。

気候は地域によって大きく異なります。エーゲ海沿岸と地中海沿岸は地中海性気候で、夏は乾燥して暑く、冬は温暖で湿潤です。内陸部は大陸性気候で、夏は暑く、冬は非常に寒いです。黒海沿岸は海洋性気候で、一年を通じて湿潤です。

文化的には、トルコ料理はオスマン帝国時代の宮廷料理から発展し、ケバブ、ドルマ、ボレキ、メゼなど多彩です。トルココーヒーとトルコ茶は、重要な社交文化の一部です。宗教は大多数がイスラム教(スンニ派)を信仰しており、少数のキリスト教徒やユダヤ教徒も存在します。音楽は伝統的な楽器と現代的な要素を融合させたもので、クラシック、フォーク、ポップなど多様です。伝統的な舞踊や詩も文化の一部です。建築では、古代遺跡、オスマン帝国のモスクや宮殿、近代的なビルが混在しています。イスタンブールのブルーモスクやアヤソフィアは有名な観光名所です。

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イスタンブール
Istanbul

ボスポラス海峡を隔てて、アジアとヨーロッパにまたがるトルコ最大の都市。ボスポラス大橋とファーティフ・スルタン・メフメット大橋によって結ばれています。歴史は長く1600年(その間に122人の権力者が手にした)に渡り、ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国の首都でした。そのため旧市街は歴史地区として、世界遺産に登録されています。ビザンツ帝国時代は、コンスタンチィノープルと呼ばれ、シルクロードの終着点として繁栄の極みにあり、長安に並ぶ世界最大の都市のひとつでした。現在の首都はアンカラですが、イスタンブールの人口はアンカラを上回り、現在でも文化、経済の中心です。開発も進んでいますが、長い歴史を刻んできた街には見所がつきません。

トプカプ宮殿/Topkapı Sarayı

ボスポラス海峡、金角湾とアルマラ海の3方を海に囲まれた丘の上に建っています。外壁内の総面積は約700,000m2あるといいます。15世紀後半に建築が始まり19世紀にかけてオスマン帝国の中心として君主たちが暮らした宮殿です。敷地内には、様々な建物が迷路のようにつながており、内装や宝物は豪奢を極めていますが、全般的に地味な印象を受けるかもしれません。それはオスマン帝国が、遊牧民の国家であり、屋外の自然との関わりを重要視していたからだとも言われています。

アヤソフィア/Ayasofya Camii

ビザンツ建築の最高傑作と言われ、4世紀後半ローマ帝国のコンスタンチヌス1世によって建てられ、6世紀にユスチニアヌス帝によって再建されました。ビザンチン帝国時代には、ギリシア正教の総本山でしたが15世紀オスマン帝国に征服されるとモスクに造り返られ、トルコ共和国誕生後に博物館として一般に開放されるようになりました。中には、キリストのモザイク画が漆喰で塗り固められていた様子が見学でき、外にはモスクを感じるミナレットが建っています。宗教の変遷に翻弄されてきた姿が確認できるでしょう。

ブルーモスク/Sultanahmet Camii

正式名称を「スルタンアフメット・ジャーミィ」といいますが、モスク内部の壁が美しい青と白のイズニックタイルで飾られているため「ブルーモスク」の愛称で親しまれています。世界でも珍しい6本のミナレット(尖塔)を持つモスクです。その由来は設計時に「アルトゥン=黄金」を「アルトゥ=6」と勘違いしたためとも言われています。1609年に建築家のアフメットにより建てられました。トルコのジャーミィはミナレットのほかに、丸天井とドームに特徴がありますが、ブルーモスクも大ドームと4つ副ドーム、30の小ドームを持つ荘厳な寺院です。

トプカプ宮殿
トプカプ宮殿
アヤソフィア
アヤソフィア
ブルーモスク
ブルーモスク

カッパドキア
Cappadocia

1985年に世界遺産に登録されたカッパドキアは、標高1000mを超えるアナトリア高原中央部に100k㎡近くにわたって広がる岩石地帯。カッパドキアの奇岩は「ペリバジャ=妖精の煙突」と呼ばれ、煙突の下には妖精たちが暮らしていたという伝説があります。この奇抜で不思議な景観は、何百万年もの昔この地にある山、エルジイェス、ハサン、ギョルルの火山活動により形成されたと言われています。火山活動は少なくとも新石器時代まで継続し、その噴出物としてできた柔らかい凝灰岩の大地が、雨や風に侵食された結果硬い地層がむき出しになりこの変化に富んだ奇岩群えを生み出しました。キノコ型、ラクダ型、帽子をかぶっているようにみえる奇岩などがあります。夕焼けでバラ色に染まる奇岩の絶景ローズバレーは必見です。

カイマクル地下都市
カイマクル地下都市

地下都市カイマクールとデリンクユ

カッパドキアは、長い年月をかけて火山灰が堆積した台地で、風化によってできた奇岩が広がる驚くべき風景の町です。この奇妙な光景は地上だけでなく、地下にも広がっています。それが地下空間、つまり地下都市です。1963年、住民たちによって偶然発見され、その後本格的な調査が行われ、次々と新たな発見があり、現在も発掘調査が続いています。特に有名なのが「カイマクール」と「デリンクユ」です。地下都市には何本もの見事な換気シャフトがあり、耐荷重構造で何層にもなっており、人々が長期間にわたって住むことができるように工夫された素晴らしい構造です。歴史学者によれば、ヒッタイト人が紀元前15世紀~12世紀にこの地下空間を建造したとする説が有力で、その後、紀元前6世紀にはゾロアスター教徒が、7世紀以降にはビザンツ帝国のキリスト教徒がイスラム勢力による迫害を逃れて利用していたと考えられています。未発見の地下都市を含めると総勢10万人とも20万人とも推測される収容人数を可能とする、巨大地下都市網の全容解明が期待されます。

ギョレメ
ギョレメ

ギョレメ/ Göreme National Park

カッパドキアの中心、ギョレメ渓谷には多くの遺跡が残っており、国立公園に指定されています。展望台からは、ギョレメ谷が見渡せます。ギョレメの村から約30分ほど歩いたところに屋外博物館があり、ここでは岩窟教会の一部を公開しています。今でも教会のフレスコ画は色鮮やかに残されています。博物館といっても資料等を展示するわけではなく岩窟教会の見学がメインです。 ギョレメは「見てはならないもの」という意味で、迫害を逃れたキリシタンの隠れ家として、トルコ人がそう呼んだのかもと想像すると面白いでしょう。

ウチヒサール
ウチヒサール

ウチヒサール/ Uçhisar Kalesi

「尖った要塞」という意味の巨大な砂岩の一枚岩が城壁の役割を果たし、岩をくり抜いて作った部屋には、実際に数十年前まで人が住んでいたと言われています。また、周辺の岩には数え切れない小さな穴が開いており、これらは鳩の巣として利用され、ブドウ畑の糞を肥料として使っています。鳩が赤色を好むため、巣の入り口は赤色でペイントされています。

ハットゥシャ遺跡/Hattusha

ハットゥシャは、紀元前17世紀から紀元前12世紀にかけて繁栄したヒッタイト帝国の首都です。政治的、軍事的、宗教的活動の中心地で、シュッピルリウマ1世(紀元前1350-1322年頃)の治世下で最盛期を迎えています。同時期にエジプトのツタンカーメンが死去し、彼の妻アンケセナーメンがヒッタイト王シュッピリウマ1世に再婚相手として彼の息子を要請。その要請を受けて息子のザナンザをエジプトに送りましたが、エジプトへ向かう途中で殺害され、両国の関係は悪化。その後、紀元前1274年のカデシュの戦いを経て、最終的にラムセス2世とヒッタイト王ハットゥシリ3世の間でカデシュ条約が結ばれ、両国の間に平和がもたらされることになりました。その平和の証のひとつとして贈呈されたのが、「願いの石(グリーンストーン)」だとの説もあります。

  
ハットゥシャ遺跡
城壁の中に悪霊が入ることを防ぐ目的で造られた「獅子の門」
ハットゥシャ遺跡
ラムセス2世からの贈り物説があるグリーンストーン「願いの石」

ネムルト・ダー(ネムルト山)遺跡/Nemrut Dagi

ネムルト・ダー(ネムルト山)遺跡は、紀元前1世紀にコンマゲネ王国の王アンティオコス1世によって建造され、彼の神格化と王国の繁栄を象徴しています。遺跡はギリシャ文化とペルシャ文化の融合を反映しており、その後ローマ帝国の併合により一度は放棄されましたが、19世紀に再発見されて以来、その歴史的価値が再評価されています。アンティオコス1世の墓と考えられているこの遺跡は、山頂にある高さ約50mの人工の丘と、その周囲に配置された巨大な石像群で構成されています。石像はアンティオコス1世を含むギリシャとペルシャの神々、動物(ライオンと鷲)などを表しており、これらの像は約8mから10mの高さがあり、東、南、そして西のテラスに配置されています。アンティオコス1世は、自らを神々の一員と見なし、死後も神として崇拝されることを望み、彼の功績を称える碑文が刻まれています。

  
ハットゥシャ遺跡
巨大な石像にはギリシャ文化とペルシャ文化の融合が反映
ハットゥシャ遺跡
巨大な人工の丘の前にはアンティオコス1世と神々の像が並ぶ

ギョベクリ・テペ遺跡/Göbekli Tepe

シャンルウルファ郊外に位置するギョベクリ・テペ遺跡は、考古学上極めて重要な遺跡です。今から約12000年前(紀元前10000年頃)にさかのぼる巨大な石造物群で、直径10mから30mに達する円形の石造りの構造がいくつも存在し、中央には高さが3m以上あるT字型の巨大な石柱が立っています。これらの石柱は環状に配置されており、儀式や宗教的な活動に使われたと考えられています。石柱には様々な動物のレリーフが施されており、これらの動物には、現在この地域には生息していない種も含まれており、レリーフにはキツネ、ライオン、イノシシ、蛇、鳥などが描かれています。ギョベクリ・テペの年代と、聖書に記述されるノアの箱舟の時代(大洪水)が一致する可能性があることから、一部の研究者や学者はこの遺跡と聖書の物語を関連付けて考察しています。

  
ギョベクリ・テペ遺跡
円形の石造り構造の中に巨大な石柱が立つ
ギョベクリ・テペ遺跡
シャンルウルファ考古学博物館/ギョベクリ・テペ遺跡の出土品・T字型石柱
ギョベクリ・テペ遺跡
シャンルウルファ考古学博物館/ギョベクリ・テペ遺跡の出土品・ウルファマン

トルコの基本情報

正式名称
トルコ共和国 / Republic of Turkey
国旗
トルコ国旗
首都
アンカラ
面積
78万0576K㎡(日本の約2倍)
人口
852万79553人 (2022年)
言語
公用語はトルコ語
宗教
イスラム教(スンニ派、アレヴィー派)が大部分を占める。
その他ギリシャ正教徒、アルメニア正教徒、ユダヤ教徒等。
通貨
トルコリラ
1トルコリラ(TRY)=約6.93円(2023年4月現在)
時差
時差は日本-6時間。トルコの方が遅れています。サマータイムはない。
電圧
220V(マルチタイプがオススメです。)
パスポート
入国時150日以上必要、1ページ以上。
ビザ
不要/80日間で90日以内
国際電話
国番号90 / 国際認識番号010
電話のかけ方
  • 日本からヨルダンへ : 国際電話認識番号+90+市外局番(0を取る)+電話番号
  • ヨルダンから日本へ : 国際電話認識番号+81+市外局番(0を取る)+電話番号
持込制限
  • 貨幣 ●外貨・・・制限なし。
  • その他 ●タバコ:タバコ200本または葉巻50本または刻みタバコ200gおよび巻紙200本等(18歳以上)●酒類:アルコール度数22度超1L、または22度以下2L(18歳以上)●香水:オーデコロン120mlまで。
  • 禁止の物 ●銃器、火薬類、麻薬、マリファナ、覚醒剤,ポルノビデオ・雑誌。
持出制限
  • 貨幣 ●外貨・・・EUR10,000まで。
  • 貨幣 ●現地通貨・・・TRY25,000まで。
  • その他 ●タバコ:2kgまたは3カートン ●酒:アルコール飲料5kgまたはラク12本 ●土産品:TRY5,000まで(これ以上は外貨両替の証明書要)●カーペット(新品):購入証明要 ●カーペット(古品):博物館の証明要 ●禁止品:骨董品、穀物、茶、カカオ、コーヒー、スパイス

旅行関連情報

水道水
塩素消毒されており、イスタンブールなど都市部では問題ありませんが、ミネラルウォーターを飲むことをこころがけて下さい。
食事
主食はパン(エキメッキ)です。シシケバブ、ドネルケバブ、キュフテ(肉団子)、ラク(アルコール)、アイラン(ヨーグルトドリンク)、トルココーヒー、アップルティー、生ザクロジュース(季節限定)。
お土産
絨毯、キリム、タイル、陶磁器、モザイクキャンドルなど
プラグタイプ
C・SEタイプです。
マルチタイプのプラグをお持ち頂くことをお薦めします。プラグ
気候と服装
国土が広いため、地域によって様々。イスタンブールなどマルマラ海沿岸では夏は雨がほとんど降らず、晴天が続きますが日差しが強いです。冬は曇りや雨でどんよりとした日が多く、1、2月は積雪もあります。パムッカレなどエーゲ海沿岸地方では夏は暑く雨が少ないので乾燥しており、冬もそれほど寒くないが、雨の日が多いです。アンタルヤなどの地中海沿岸地方では、夏は日差しの強い晴天が続き蒸し暑いです。冬はイスタンブールと比べると寒くはないですが、雨が多く海も荒れます。カッパドキアなど中部アナトリア地方では夏は、暑く乾燥しています。高度が高く日差しが強いです。冬は氷点下の日が多く積雪もあります。
他のイスラム国家に比べ、外国人に対して寛容ですが極端に肌を露出した服装は控えましょう。モスクに女性用のスカーフが置かれていたら利用しましょう。女性の場合は、さっと羽織れるスカーフを1枚携帯しておくと便利です。また日差しが強いため、帽子、サングラス、日焼け止めは用意しておきましょう。 冬にアナトリア地域の観光をする場合、しっかりとした防寒対策が必要です。

イスタンブール(トルコ)の月別平均気温(℃)

  1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
15 15 18 21 26 31 34 33 31 26 20 16
5 6 7 10 14 18 21 21 18 14 9 7
両替について
銀行や両替屋、ホテルなどで、US$、ユーロや日本円から交換できます。
クレジットカードはVISA又はMASTERCARD。JCBは使えないところが多い。
チップの習慣
  • 一般的にチップの習慣があります。
  • レストラン:料金の10%~15%。
  • ポーター、ルームサービス:5トルコリラ程度
  • ガイド:終日の場合、40トルコリラ、半日観光は320トルコリラ程度
  • タクシー:メーターから端数を切り上げてチップとする。
在ヨルダン日本大使館
  • 住所:Japonya Buyukelciligi,Resit Galip Caddesi No. 81, Gaziosmanpasa, 06680, Cankaya, Ankara, Turkey
  • 電話:(90)312-446 05 00
  • FAX:(90)312-437 18 12

<注意>上記情報は、2022年12月現在のものです。事前予告無しに変更となる場合もございます。