メソアメリカ文明の遺跡
現在のメキシコシティは、かつては湖に浮かぶ島「テノチティトラン(Tenochtitlan)」と呼ばれ、町の中心には神をあがめる大神殿がそびえ、人口数十万人をかかえるメソアメリカ最大の都市でした。地中にはテンプロマヨールのような未発掘の遺跡が今もたくさん眠っており、全容解明に向けた今後の遺跡発掘に期待が寄せられています。一方、メキシコ全土に目を向けると、これまでに様々な時代の古代遺跡が発掘されてきました。メソアメリカ文明の始祖オルメカ文明の遺跡をはじめ、先古典期から古典期にかけて強大な勢力を誇ったテオティワカン文明の遺跡、テオティワカン滅亡後に群雄割拠した地方の遺跡、そして現在のグアテマラやベリーズ周辺からユカタン半島にかけて、約2500年間もの長い間繁栄したマヤ文明の遺跡です。単にメキシコの古代遺跡という狭い見方を少し掘り下げて、遺跡の時代背景などを知ることで、より一層興味が高まることを期待しています。
オルメカ文明後の時代区分として代表的な文明を大まかに分類すると、マヤ文明、テオティワカン文明、サポテカ文明、トルテカ文明、アステカ文明です。「マヤ文明」は、紀元前1000年頃~後1524年、グアテマラ低地からユカタン半島へ勢力を拡大し、古典期(後250年~900年)が最盛期で、その後、突然謎の消滅をしています。 「テオティワカン文明」は、紀元前200年頃~後650年頃、メキシコ中央高原で誕生し、マヤ文明やサポテカ文明にも大きな影響を及ぼしています。巨大な神殿ピラミッドの建造をはじめ、高度な政治と経済圏を機能させた文明国家ですが、文字を使用した形跡がなく、7世紀頃、突然都市を放棄して消滅しています。 「サポテカ文明」は、モンテアルバンを中心に、紀元前500年頃~後800年頃、オアハカ地方で誕生し、独自の文字や文化を極め、テオティワカンと並走しながら繁栄しました。 「トルテカ文明」は、テオティワカン崩壊後、群雄割拠の地方都市を攻略して、7世紀から12世紀頃まで、トゥーラを中心に繁栄しました。ケツァルコアトルを信奉し、金銀細工の冶金術に優れ先進的な文化を開きました。最後の「アステカ文明」は、現在のメキシコシティを中心に、1428年頃~1521年まで繁栄しましたが、スペイン人の征服によりわずか95年間で幕を閉じました。