ペトラ遺跡
/ Petra
エル・ハズネ/Al Khazneh
エル・ハズネは高さ約40m、幅約25mあり、紀元前100年から紀元後200年の間にその原型が造られたと考えられています。その建造工法は素晴らしく、崩落リスクを考慮して、職人たちは断崖を上から下へと計画的に彫り進めて完成させたとされています。映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」の舞台としても有名で、絶壁をくり抜いて造られた建物は「宝物殿」と呼ばれています。その名の由来のひとつに、盗賊が第2層の高所にある石の壺の中に略奪品を隠したという伝説がありますが、定かではありません。この建物には古代ギリシャのコリント様式やヘレニズム文化の影響を受けた建築様式が使われており、ギリシャやエジプトなど様々な地域の文化の影響を受けていたことがわかります。一日の微妙な光の違いによって50色ものバラ色を見せるとも言われ、行きと帰りで違う雰囲気を楽しむことができます。ペトラ遺跡の入り口からおよそ1.2km続くシークの岩肌には、ナバテアの神々や碑文が多く彫り込まれ、下部には水路や素焼きの水道管の跡が残っています。ナバテア人が紀元前からペトラに給水と治水の設備を完備させていたことは驚きで、ペトラの東にあるアイン・ムーサの泉を主な水源としていたとされています。ペトラの中心部に水を供給していた痕跡はほかにもあり、見晴らしのよい高台には王の宮殿を建て、今風の露天風呂が造られていたこともわかっています。
シーク/Al-Siq
シークとは、ペトラ遺跡の入口からエル・ハズネへと続く、約1.2kmの狭い峡谷の道です。道の両側には、ナバテアの神々や碑文が多く彫り込まれ、下部には水路や素焼きの水道管の跡が残っています。古代ナバテア人は、紀元前からペトラに給水と治水の設備を完備させていました。ペトラの東にあるアイン・ムーサの泉を主な水源として、ここから導水路を使ってペトラの中心部に水を供給していました。
王家の墓/Royal Tombs
王家の墓は、一般的には王族や高位の役人の埋葬用として建設されたと解釈されています。しかしながら、その建築様式や豪華な装飾から、一部の研究者や専門家たちの間で宮殿または神殿との所説も存在します。右から「壺の墓」「シルクの墓」「コリント式の墓」が並び、その先には「宮殿の墓」「フロレンティヌスの墓」が続いています。いずれの墓も、紀元前1世紀前後に建造されています。
大寺院/The Great Temple
大寺院は、ペトラ遺跡内の中心部に位置する巨大な神殿です。その名の通り、この神殿はかつて重要な宗教的な中心地として使用されていました。大寺院は石段や柱廊、祭壇などがあり、その壮大なスケールに圧倒されることでしょう。
エド・ディル/Ad Deir
エド・ディルはアラビア語で「修道院」の意味で、巨大な砂岩の岩山を削って造られています。建造工法はエル・ハズネと同じく、上から下へと彫り進めて完成させたとされています。高さ45m、幅50mとエル・ハズネよりもひと回り大きく、標高1000mに位置し、ファサードの最終地点から続く山道の階段(900段以上)を登り切ったところに現れます。行きの登りは約1時間、帰りの下りは約40分程度かかります。山道の途中には、ライオンのトリクリニウムがあります。これは、お墓だと言われ入り口が風などによる風化で鍵穴のような形をしています。周辺の岩肌は天然のものとは思えないほどカラフルな模様をしています。