謎のテオティワカン遺跡
テオティワカン遺跡は、紀元前2世紀から後7世紀まで繁栄した新大陸最大の都市遺跡です。その面積は23km2にも及び、平安京とほぼ同じ広さを持っています。最盛期には20万人以上の人口を抱え、当時のローマ帝国の首都コンスタンチノープルに匹敵すると言われ、中央集権的な政治組織と高度な経済組織を持ち、メキシコ盆地の政治、経済、宗教の中心と考えられています。後650年頃に大火災に見舞われ、謎の滅亡を遂げ、それから500年後の後世のアステカ人たちはこの廃墟を発見します。その規模に驚嘆し、ナワトル語で「テオティワカン(神々の座所)」と呼んだことがその名の由来だそうです。彼らはどこからやってきた民族なのか、どんな言語を使っていたのか、マヤ文明と違い複雑な文字体系を持たずに巨大な文明圏を築けたのはなぜなのか、今も不明で謎だらけですが、古典期のメソアメリカの国際都市として様々な言語が交差する中で隆盛を誇ったことは間違いないと言われています。